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白山からの雪どけ水で育てたって…ホント??

「稲ほ舎のお米は白山からの雪どけ水で、じっくり、ゆっくり育てています」

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ショップカードに書いてある文言なんですが…本当に白山からの水なんですか??って販売スタッフリーダーのくみさんに聞いてみました。
そしたらホントでした(笑)ちゃんと白山からのお水を引いて育てています。安心してください。

その話の中で興味をそそられたのが、枝権兵衛(えだごんべえ)という人物です。この方が尽力したからこそ、北辰農産稲ほ舎は鶴来の地で稲作ができてるそうです。

稲ほ舎の社長夫妻のお子さんたちが通う小学校には、銅像まであるそう。地域の功労者なんですね。

鶴来の郷土史に書かれるほどの方なので、詳細なことはそちらに譲るとして、思わず目がウルウルした話をお伝えしようと思います。

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ちなみに、枝権兵衛については北陸農政局が作成したこの資料が紙芝居みたいで分かりやすいです◎


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暴れ川を変えた人

枝権兵衛の功績は、鶴来の地の稲作を変えたことにあると思います。
鶴来には「手取川」という大きな川があるのですが、水量が安定せず、日照りが続くと田畑がすぐ干上がり、大雨が降ったら氾濫。暴れ川という別名があるほど。そのため村同士での水に関する争いが絶えなかったそう。

こんなありさまに困っている村人を見て立ち上がったのが権兵衛だったのです。

手取川の水を引き入れるためにトンネルを掘って、入口に水門を作り、水量を加減させて平野へ田畑の水を引くことを考え、それを実行し、完成させた人。

まだ機械のない江戸時代にその大工事を成し遂げたというその苦労たるや…。使える道具はノミやツルハシくらい。ひたすら固い岩を手の力だけで、掘り進める作業。想像しただけでげんなりします。

「郷土資料館って面白いんですよー!」と語るスタッフゆうか(ものづくり大好きで背景を知ると興奮するたち)は、その事実を知って涙腺決壊でした。

良左衛門との絆

「みんなの力でこの工事をやろう」
「お金を出すのが無理なら、交替で作業をしよう」と熱心に話して歩いた権兵衛。その並々ならぬ熱意にまけて始まった工事だったそうですが、あまりの過酷な肉体労働に村人の数は日に日に激減。資金も底をついていきます。

思い余った権兵衛さんは、加賀藩の役人である小山良左衛門(こやまりょうざえもん)に相談をして、少額の援助を取り付けることに成功。ただ江戸末期で藩の相続も危うい時期だったこともあり、わずかだったそうです。

「給料をあげろ」と騒ぐ人々は、船に権兵衛を乗せ、雪どけ水のあふれる手取川に投げ込むなどの暴挙にでる始末。

このような様子を見た良左衛門は「工事に使いなさい」と懐からお金を渡してくれたそうです。

熱い想いが伝わった瞬間ですね…。しかし今でいう横領のため良左衛門もかなりの厳罰を受けたそうです。(わたしはここでウルウルしました。)

このような二人の努力があってか、工事にかかって3年目の春に
「そろそろトンネルが抜けそうだ」
「工事にでないものは水がもらえないかもしれない」
と、工事を手伝う村人が増えてきました。
そのかいあって工事はみるみる進み、4年後の5月に見事開通。

歓声をあげて喜ぶ村人をみて涙をながす権兵衛は、村人のために文字通り尽力した素晴らしい人だったのですね。その情熱を理解して手を差し伸べた良左衛門がいたからこそ、今があるのだなと思います。

そのおかげで、豊かな水が流れる鶴来の地。
先週でめでたく田植えも終わりました。

最後はもち米「カグラモチ」の田植えです。
いつものマッチさん&へーさんコンビ。

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カグラモチの苗。わたしはどの品種か見分けがつきませんが、農作業チームはちゃんとわかるそうです。かっこいい…!

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カグラモチは石川県古来の品種で、ちょっと黄色みがかっているのが特徴です。もち米の話をちらっと社長にふったら、すぐにはまとめきれないくらい語ってくれたので、次回はもち米について書こうと思います。

「ここのお餅は本当においしい」とリピーターさんが多い稲ほ舎の自慢のお餅。よかったら味わってみてください。うちの小1の息子はよもぎ餅が大好きです!



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