2020/01/07「願い」
「生きることが許されないのなら、せめて死ぬことくらいは許してくれよ。」
そう言っている気がした。
私たちは、なぜこの世に生を受け、死に向かって歩き続けるのだろうか。よく考えてみれば、生きていくことの方が異常じゃないか。
20年経ってようやく、この世界には実に様々な考え方を持つ人々がいることを知った。自分の思考と本当に相容れない思考を持つ人間がいることを、ようやく理解した。人の気持ちが分からない人間も、本当に存在するのだ。
首つり自殺をした人の気持ちが、悲しいことに理解できてしまう。
「公共の場で死ぬなよ」「最後くらい迷惑かけるなよ」そういう意見はきっと正しい。でも、頭ではわかっていても、私にはそう考えることができない。「最後くらい迷惑かけてもいいよ。きっと最後に勇気を出して、頑張ったんだ。辛かったよね。」そんな言葉ばかり頭をよぎってしまう。
初めて、本当に死のうと思った。ロープの縄をドアノブに巻き付け、自分の首を縛った。苦しくて苦しくて、とにかく現実から逃げたかった。「死ぬ方法」をずっと調べていた。ロープで首を縛り付けると、耳が遠くなって、頭に血が回らなくなった。そんなことをしている自分自身が悲しくて悔しくて、どうしようもなかった。普通じゃなかった。でも、それでもどうしようもなかった。
そんなに簡単に死ねるものじゃない。自ら死に向かっていくことは、生半可な気持ちでできるようなことじゃない。分かっているから、分かってしまうから、自分で自分を殺したあなたの気持ちを思うと胸が張り裂けそうになる。喉奥にせりあがってくる痛みを、あなたが感じたであろう苦しみを、私もまた感じてしまうのだ。
こんな気持ちをどれだけの人が理解できるだろう。私はまだそこまで社会のことを理解できていないから、この気持ちを理解できることが普通であるのかわからない。強い人間ばかりいるように思えて、人間の弱さは淘汰されるべきもののように思える。苦しみに向かって歩き出すことだけが正しさなのか。もっと小さくて、弱々しくて、あたたかい人間の側面を、社会全体で包容することはできないのだろうか。
ぬくもりが欲しい。ただ、人々のぬくもりで溢れた世界であってほしい。それだけを願う。
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