趣味は「映画と読書と音楽」と言っても良いですか? vol.298 映画 熊井啓「黒部の太陽」
こんにちは、カメラマンの稲垣です。
今日は映画 熊井啓さんの「黒部の太陽」(1968/日)についてです。
当時日本の二大スター三船敏郎と石原裕次郎が難工事と言われていた黒部ダム建設の壮絶な苦労を描いている。
昭和の勢いのあるあの時代のパワーが画面からビンビン感じます。
それもCGのない時代、そして特撮も使わず、工事現場を借り切って何年もかけて撮影。
実際撮影中圧力のかかった水が押し寄せ、本気で必死に逃げる様子までフィルムに残っています。石原裕次郎さんは骨折したらしい。まさに命懸け。
この本物の凄さのど迫力。
昭和の時代の勢い、2大スターの画面映え、そして工事現場をつかったすごいセット、そしてこの黒部ダムの工事は多くの犠牲のもとの難工事だった事実。
関西電力と熊谷組の協力。
物凄いエネルギーを感じました。
もうクールで平和で働き方もホワイトな令和の時代、体験することもできないようなことを映画で知れるのは良いですね。
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物語は、関西電力は黒部川上流に発電所を建設する計画を立てた。
関西電力の社長は社運をかけて、黒四ダム建設に動き出す。
工事の現場の責任者(三船敏郎)はこの難関プロジェクトに自分の人生を賭けて挑む。
設計技師(石原裕次郎)の父親はトンネルを掘るためならどんな犠牲も省みない根っからのトンネル掘りでそれに反発して家を出て技師になっている。
ある日工事現場を訪ねた設計技師は責任者の熱意に絆されて、そして体の弱くなった頑固な父親の代わりにトンネル掘りの責任者になる。
かくして責任者(三船敏郎)と設計技師(石原裕次郎)の二人は困難なトンネル掘り作業に挑む。
しかし工事が進んで、掘り進めば進むほど、壁から水が溢れ、山崩れが頻発して犠牲者が出る。
二人はダム工事の難しさを挫けそうになる。
それでも莫大な資金と科学技術のお陰で、なんとか難所を突破する。
設計技師は責任者の娘と結婚する。
その娘の妹は病気になり入院する。父親である責任者は心配するがトンネル工事がまだ残っている。後ろ髪をひかれながらまた現場に戻る。
そして長い月日をかけついにトンネルが開通。
喜ぶ労働者の中、責任者は結婚した娘の妹が亡くなった電報を受け取り涙を流す。
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もちろん絵はど迫力で、水や泥だらけ、何人も山崩れで死んでしまう世界
企業協力の映画なので熊谷組の工事現場で撮影。
もう徹底的にリアル。
ある意味ドキュメンタリータッチだが、そこは2大スター映画。
ちゃんとドラマチックな物語にしています。
設計技師(石原裕次郎)と犠牲を出してもトンネル掘りを続ける父親との確執。
責任者(三船敏郎)の病弱な娘の死に際に会えない悲しみ。
仕事か家庭か。
今の時代、死ぬかもしれない危険な仕事って、もちろんありますがものすごく少ないです。
そして命をかけても達成する仕事なんて、ほぼあり得ません。
そして家族の死に目に会えないなんて。
そう令和の時代ではもう絶対あり得ない価値観です。
でもでも、そういう昭和の時代があったからこそ、ダムができ、トンネルができ橋ができ、今の平和な時代があることを知れました。
「事業というのは、経営者が10割の自信を持って取り掛かる事業は仕事のうちに入らない。7割成功する見通しがあったら勇断を持って実行する。それでなければ本当の事業はやれるものではない」
/「黒部の太陽」より