台風19号で被災した長野県飯山市に暮らす母親から息子へ届いたメール
母親からのメール
お母さんの知り合いの娘さんが、インターネット? の英資さんの投稿?かなんかで、飯山の街のなかの惨状を知り驚いたといってましたよ。
飯山市民なのに、ちょっと離れるとわからないものですね。
今日一日被害にあった知人の家にお手伝いに行ってきましたが凄い惨状でした。ねっとりした泥沼でした。
水で何度も洗い流して、きれいになったと喜んで雑巾でふくとまたまっ茶色の泥がつくんだよ。
木島の水害を経験した人がきれいなったと思っても翌日には泥がかわいて真っ白になってその粉を吸い込むと肺を痛めるからマスクをした方がいいですと教えてくれました。
家に帰ってお父さんに話したらその泥は粒子が細かいからあらゆる隙間について入ってわいてくるんだって。
花泥っていうんだって。
日本中の被災者がテレビからではわからないこの泥のたたかいをこれからするんだなあとお母さんは思いました。
手伝ってやっとわかった大変さです。
木島の災害の時もっと手伝ってあげればよかったとすごく後悔しました!
この年まで生きてきても知らなくて知ろうとしなかって、悪かったなあと思うこといっぱいあるなあと思いました。
街の中の写真を撮ってたあなたにも飯山のことついでにお知らせしました。
というか災害の泥のすごさを知らせたかったのです。
息子からの返信
泥はそうだねー。
ぼくは東日本大震災で宮城県石巻市にボランティアに行ったときに、仕事の三分の一は汚泥の片付だったので、あの作業の大変さや果てしなさに心折れる感じの片鱗は何となく分かります。
乾いた泥の「花泥」という名称は知らなかったな。
お父、よく知ってるな。
お母がいうように、被災した人たちは泥との戦いをしながら、これから「日常」を取り戻す戦いをするのだろうなあと思っています。
今回の被災にはぼくの知人も散見していて。
ぼくの「暮らしのエリア」も被災していて。
そういう意味では、東日本大震災のときより「自分ごと」の色が強い災害だなと今日改めて思いました。
ぼくは幸い直接的には被災しかなかったので、日常の側から、知人たちの日常への復帰を手助けできたらと思っています。
改めて思ったのだけど、日常って余白の存在が大きいんだよね。
だらだらテレビ見たり、くだらないお喋りをしたり、好きなだけ漫画を読んだり。
「なくても困らないこと」にあふれているのが日常なんだなーと思いました。
お手伝い、沢山してあげてください。