読むと悲しくなるけど面白い。『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇の感想 もうどうでもゲリオン』
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇の感想 もうどうでもゲリオン』を読みました。
うーーーーーーーむ。面白い。
読むと悲しくなるけど。
悲しくなるが、ぐうの音も出ない論点が頻出してグサグサきます。
「大人になったらどうでもよくなることは幾らでもある」は身に覚えがありすぎる。悲しいが、確かに。
以下、グサグサきたところのメモです。
旧劇と『シンエヴァ𝄇』の最大の違いは、『シンエヴァ𝄇』で成長した子供たちは思春期的な葛藤に対してもう素朴に興味を失っていることだ。大人になるというのは人生にかかる問題に答えを出すことではなく、問題の枠組み自体への関心を失い、無根拠で放棄できてしまうことなのだ。
「問題と正面から取り組む」というのは子供の解決方法で、大人には「問題がどうでもよくなるまで待つ」という選択肢があるのだ。旧劇のようにいちいちあがかなくても、ただぼんやりしていればどうでもよくなることもある。シンジが第三村で学んだのは「関心を失うまで待つ」という解決方法だ。
脱構築批評がよくやるように問題設定に矛盾が見出されるからでもない。そういう問題自体がもうどうでもよくなって、問題の枠組みごと放棄されるというだけだ。
最終的にシンジがエヴァの無い世界を目指したのも同じことだ。
「エヴァに乗るべきか乗らないべきか」という問題に解決や崩壊の契機があったわけではない。シンジは第三村で特にこれといった劇的なエピソードもなく時間の経過で回復できた経験から、「単に関心を無くす」という選択肢を学んだのだ。
困難な問題を掘り下げるには子供でいなければならず、大人は「関心がない」というだけであらゆる問いを無効にできてしまう。大人になってわかることなんてほとんどないのに、大人になったらどうでもよくなることはいくらでもある。
どうですか。悲しくなりませんでしたか?
ぼくは読んでいてとても悲しくなりました。
“ 困難な問題を掘り下げるには子供でいなければならず、大人は「関心がない」というだけであらゆる問いを無効にできてしまう ”
この一節は特に悲しいですが、否定できない。ぼくは大人になったのだ…と思いました。とても興味深いブログでした。
下記はぼくの感想noteです。よかったらこちらもどうぞ。
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