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忘れがちなひきだし

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忘れがちなテキストをしまっておく場所です。
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名も知らぬ誰かが積んでくれたレンガたち

「自分は宇宙について研究しているのですが、研究者たちの成果が人類全体の財産となるのは、それを受け止めて何か別の物、たとえば劇や音楽にアウトプットされたときだと思います。そうなって初めてレンガを一つ置くことができたと思えるんです」 数年前に観にいった演劇でのアフタートークで天文学者の平松正顕さんがこのようなことを仰っていて。それ以来ぼくの中でずっとこの言葉が響いている。前述の視座は「生きる」という現象に何かしら隣接しているように思えてならない。 それは研究者に限らず、パン職

「その◯◯いいね!」と見知らぬ方を褒めてみたい

アメリカで信号待ちしているときに「そのスニーカーいいね!👍」と見知らぬ人から褒められた。みたいな日本人観光客のエピソードをTwitterで見たりする。すごくいい文化だなあと憧れていたんです。アメリカに行ったことないですけど。今朝の出勤中、信号待ちをしていたら正にそのチャンスがやってきました。 30代くらいで眼鏡をかけている女性。なんの装飾もない真っ黒なパーカーコート。ボトムスはワイドパンツで少し明るめのブラウン。踝までの丈で、素材はもしかしたらキメの細かいコーデュロイ。全体

インビジブルな部分的難聴

子どもの頃から右耳が難聴気味です。音は少し聞こえるのですが、言葉としてあまり聞き取れない。特に色々な音が混ざるざわめいた場所(居酒屋、雑踏、教室)では壊滅的です。大きめな音でテレビ番組やアナウンスが流れている場も苦手です。音は聴こえるけれど全てが混ざってしまうので言葉として聞き取れない。絵の具を何色も混ぜたら結果的に黒になるような。そんなイメージです。 大勢が参加する忘年会のような場所でのぼくはたいてい何も喋らず呆然としていますが、その場合は下記のどれかの状態です。 聴き

人にそういう言葉を使うもんじゃない

大学を卒業して初めて社会人になったのが渋谷の小さな広告代理店。そこには年下の先輩がいた。彼は酒癖が悪く酔うとすぐ「殺すぞ!」と喚き散らかした。ぼくはそれがひどく苦手だった。ある飲み会で二次会に向かう途中、先に店を押さえている同僚との連絡がうまくいかずちょっとバタバタしているといつものように「どこなんだよ!殺すぞ!」喚き始めた。 彼の大声を背に同僚と携帯(スマホはまだない)で連絡を取るがうまくいかない。「殺すぞ!」の連呼が続く。ぼくはとうとう「そういう言葉を使うもんじゃない」

スナフキンの墓じまい(戯曲)

登場人物 幽霊(孫の祖父) 母親(孫の母親) 娘(幽霊の孫) カフェのマスター カフェ。母親と娘がお茶を飲んでいる。 その脇に佇んでいる幽霊。普通の服装。暇そうに頭を掻いたり、貧乏ゆすりしたりしている。カウンターではマスターがコーヒーを入れている。音楽が静かに流れている。 母親 …………。あー。 娘  …… 母親 あーー。 娘  …… 母親 疲れたーーー。 娘  (聞き流してお茶を飲んでいる) 母親 あのさ。 娘  …… 母親 ねえ。 娘  なに。 母親 疲れたっ

芦原妃名子さん/組織と個人/壁と卵/一色登希彦さんのブログ

とてもとても読み応えのある一色登希彦さんのブログ。ずしんときて、重く、処理できず、咀嚼に時間がかかる。そういうことを書いているし、そういうことが起きたのだと思う。村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ『壁と卵』を思い出した。100%の部外者であり表現者でもなんでもないぼくが芦原妃名子さんの痛ましい事件に触れ、少なからず動揺し、一色登希彦さんのブログを読んで思うことは「これはぼくたちにも起こりうることなのだ」ということで。それがこのブログを読むとよくわかる。もちろん表現者たちの話で

自分のエゴに正直だと人生楽しそう。

明日は仲のいいカメラマンAさんと撮影でそれなりに楽しみにしていたら電話がかかってきました。 Aさん「稲田さん、明日の撮影は直行します?」 ぼく「そうですね。車のお迎えが必要ですか?」 Aさん「いやあ、自分の車で行けるんですけど。そしたら現地集合じゃないですか」 ぼく「うん」 Aさん「そしたら稲田さんとお喋りできるのはお昼くらいじゃないですか」 ぼく「まあ、そうですね」 Aさん「それだとさみしいなあと思って」 ぼく「は?」 Aさん「迎えにきてくださったら稲田さんと行きと帰りで

他者をコントロールできると思わないことが全てのベース

こちらのツイートに感銘を受けました。 盲点でした。なんて素晴らしい問い。 「言葉や定義で他者を制御できる」 「コンテンツで他者を統制できる」 「正確であるほど他者を管理できる」 日常的にやらない人ほどこの思い込みが強い。コンテンツ支援に関わる者としてこの幻想の打破に毎回苦労するのですが、なぜこんなにも呪いが強いのかと訝しんでいて。上記のツイートに考えるヒントがありそうです。 ====== そもそも「他者をコントロールできる」という思い込みや幻想や呪いから離脱できなけ

安価で平凡なクリスマスプレゼント。

子どもが大きくなったので「クリスマスプレゼントの希望はある?」と直接聞いています。中二の娘が「なんでもいいからアクセサリーがほしい…」とすこし恥ずかしそうにいったので、安価なシルバーのネックレスを用意した。トップがクロスでベーシックなもの。高校生になったらもう着けないだろうなと思えるような。 プレゼントの袋を開けて、箱を開けるまでリクエストのことは忘れていたようで、ネックレスが出てきて目がキラキラしていました。首のうしろで初めて着けるのもうまくいかず悪戦苦闘していたけれど、

一歩間違っていれば自分もそうなっていた。という恐怖。

「自分を特別だと信じて疑わず、いつか何者かになれると漠然と夢想しながら何の努力もしてこなかった金も仕事も何も無いアラサーメンヘラ男」 ネットで散見する人物像で実際にいたらもちろん近寄らないのだけど、一歩間違っていれば自分もそうなっていた。という恐怖心が強いので他人事になれない。 以前ツイートした「いつかぼくは人生で致命的な失敗をするに違いない。今がたまたまで、一歩踏み外したら奈落の底に落ちるのだ」もその恐怖心と地下水脈で繋がっている。異論反論あるでしょうが仕方がないんです

言葉にできなくてもいいから、なかったことにしないこと。

子どもや学生への質問、スポーツ選手や相撲のインタビューであまり好きではないのが「◯◯で良かったです」という感想。あれは本人からの主体的な発話ではなく、「聞く → 答えねばならない」という関係性の圧力から生まれる空虚な回答に思える。一方的に質問をして、空虚な “それっぽい” 回答を得て満足する関係は小学校や中学校でのそれを思い起こさせる。読書感想文にも同じ匂いがする。ぼくの偏見100%ですけれど。学校のあの空気、大嫌いだったんです。今でも嫌いだけど。 さらに好きではないのが本

本当の自分はどこにいる?

「本当の自分」なんてどこにもないと思っているけれど、「窮地に立たされたときの自分」はあると思う。それを本性と言ってもいいかもしれないけれど、ぼくは自分を全く信用していないので窮地に立ちたくない。本性なんて知りたくない。どうせ人を裏切るに決まっているのだ。100%我が身がかわいいタイプなので。 だから、戦前の日本のようなナショナリズムが濃い国になったら非常に困る。ぼくは基本的に自由を尊重する人間だけれど、相互監視の告げ口社会になったら速攻で口をつぐむ自信がある。きっと誰かを生

チャーチルの名言

偉人の名言をパラパラ見るのが趣味なのですが、ウィンストン・チャーチルはなかなか首尾一貫しているんですよね。さては苦労人だな…と思います。 チャーチルの名言 ① チャーチルの名言 ② チャーチルの名言 ③ なかなか良いですよね。きっと扱いづらい頑固親父だったんだろうと思います。チャーチルの名言で個人的にグッときたのはこちら。 はい…妻からよく指摘されます…気をつけます…

ワクワクの効能と大人の役割。

ぼくはサッカーに全然詳しくないけれど、ワールドカップで日本が勝ち上がって行ったこの数週間は何となくワクワクしていました。夜中の試合中継は観ないけれど、0時からキックオフなんだなあと思いながら寝たり、朝起きたら試合の結果が気になったり。勝っていれば「すごいなあ!」と思うし、惜しくも負けてしまっていたらやっぱり悲しいし。 日本全体も1%くらいは体温が上がっていた感じがする。そうですよね? ワクワクは経済効果みたいに数値化できないけれど、心の体温は上がる。生き物として大切だよな