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血迷う
子どもの頃から髪が長いことが多かった。幼稚園の頃は毎朝、朝食を食べている間に母がツインテールにしてくれた。小学生になる時点で、伸ばすなら結ぶこと、しかも自分で結べないなら切ること、と言われ、意地でも切りたくなかったので、ツインテールが結べる練習をした。
小学生の高学年になる頃、ツインテールに飽きてきて、三つ編みを練習した。そしてさらに高校生になる頃、やはり普通の三つ編みに飽きて、独自に開発した編み込みの三つ編みをしていた。それからも基本的にはずっと長い。いや、長くなければなんとなく具合が悪いような気がしている。
実は小学2年生の時、何を考えたか一時的におかっぱ髪にした。私の髪質に合わない髪形だった上に、なんとなく振るわない1年間を過ごした。幼いながら、「サムソンとデリラ」を思い出し、私はサムソンなのかもしれない、と思ったりした。
「サムソンとデリラ」は旧約聖書にある逸話。デリラのハニートラップにひっかかって、怪力サムソンは力の源である髪を切られ、力を奪われる話。幼稚園の時に絵本で読んだ(その時はハニートラップとは書いてなかったと思うけど)。私は誰のハニートラップにもひっかかってないけど、“血迷う”という墓穴を掘る。
そう思っていたのに、12年ほど前、また血迷って髪をショートカットにした。友人も母も、そんなのは“私”じゃないと口を揃えて批判した。だからと言うわけではないかもしれないが、髪が伸びるまで(結べるようになるまで)、やっぱり不本意な1年を過ごした。
その時、確信した。私はやっぱりサムソンだ(と、同時にデリラでもある)。髪が長くなければ、不本意な人生に陥りがちになるのだと。今日みたいにあっちちぃな日でも、長い髪をまとめてアップし、まとめ髪の中に、汗をためてなくちゃいけないのだ。
じゃ、反対にイケイケだった人生の時の髪型は? 即席ラーメンの麺みたいなソバージュ 。これまた鳥の巣みたいになって、熱が籠る上に、今は全然流行ってない。