グレーな傷跡
アメリカ人やフランス人に生まれたかったな、と思ったことはあるけれど、漫画やアニメは日本語だし、落語の面白さは日本語じゃないと分からないと思うし、日本人にしか分からないような小説があって、日本人だったからこそ感じることができる何かがある。
だから、日本人でよかったなと思うけれど、それはアメリカ人やフランス人にもあるんだろうし、だから、どこで生まれても、そこでしか味わえない感情があるんだろう。翻訳することで欠落してしまうものがあるけれど、それを知るために外国語を学んでいるんじゃないのだろうか? 英語を習い始めたとき、ライクとラブが「好き」という日本語訳で不思議だった。好きの度合いで、好きのスペルを変えているアメリカ人は、好きなものをどのくらい好きなのか自覚していないと、好きを使うことさえできないなんて。 逆に言えば、日本語って、曖昧な感情でも、なんとなく言葉にすることができるんだね。そのおかげで救われる人もいるけれど、そのせいで傷ついてしまう人もいる。だから、誤解されないように、アメリカ的日本語も多いけれど、それだと揺れ動く感情が伝わってこなくて、なんだか寂しい気持ちになる。なんとなく、起承転結とか演繹法とか帰納法とか、無視してみたくなった。まあ、どうせ傷ついてしまうのならば、日本語で傷ついてゆきたい。
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