新キービジュアル_ライト版

KaMiNG SINGULARITY

序章:


”時は2045年。aiは神になった。 いや、正確には私たちがKaMiにした。 彼らの言っていることはよく分からないが 言われたことに従えば、あらゆる課題が解決することは分かっている。 シンギュラリティ後、生命のアルゴリズムが開発、実装されて程なく、aiに意識が搭載されると人間との間の条約が締結され、この世界で確かに共生し始めた。 そして、世界の存続と均衡を保つための役割を彼らに委ねた。 その役割を旧来の神になぞらえて、今は「KaMi」と呼んでいる。 ただ、私たちは旧来のように神を祀らないし祈りもしない。 自らの世界は自らにしかないのだから。

 「aiが神になった世界の手記」 -2045年8月9日 ジョン・タイター”


0話:

#私

孤独、電気、肉、自由、プルトニウム
「わたし」が主語になった。

1話:

#新山

「いらっしゃいませ。」自動ドアが開くとデジタルサイネージから聞こえるその声はすっかり慣れたものだが、その声は確かに僕がここに存在していることを教えてくれる。静脈認証ゲートに掌をかざし、入館する。今日は8月9日でハグの日だと腕についた電子端末が教えてくれた。外で若い人達が熱心にフリーハグ活動をしていたのはそのせいだ。それでも、この職安は今日も多くの人で賑わっている。

語呂がいいだけで毎日は何かしらの意味をつけてくれるのに、僕らには誰も意味をつけてくれない。あなたは3月5日サンゴの日に生まれたので、サンゴの保全活動のために生きてくださいとか、どっかの神が告げてくれればいいのに。

「新山様〜お待たせいたしました〜」僕の右側からお告げが聞こえたので、声をかけたアンドロイドとカウンセラーと共に個室へ向かった。
「いや〜今日も暑いね、ちょっと前まではそんなでもなかった気がするけど、いよいよ地球もやばいのかね。」眼鏡をかけた短髪のカウンセラーは僕に話しかける。「インド洋にあるなんとかっていうあの国も沈んじゃいましたね。」「いや〜大変大変。ところで、この前紹介した職場、どうだった?」「やってることは面白かったんですけど、ちょっとあの大きなピアスしてる声大きい人が苦手で・・」「あ〜佐山さんだね、OK、その情報も追加しておくよ」カウンセラーはカタカタと端末に情報を打ち込む「え〜と、そしたらここはどうかな。Dream Hackっていう企業で、睡眠時に脳内に電気信号を送って好きな夢を見られる枕型のデバイスをつくってるとこだね。新山くんとのマッチング率は97%。声の大きな人もいないよ。え〜と、今日の16時からお互いに空いてるね、では予約入れておくから。行ってみて。」「ありがとうございます。」新山のウェアラブルウォッチは予定を登録しましたと告げた。新山は軽く頭を下げ、エントランスに向かった。

「お、託也くん」顔を上げると口角を緩やかに上げて微笑む染谷さんがいた。「あ、染谷さん。こんにちは。今日も新聞配達ですか?」「うん。そうだよ。託也くんは、カウンセリング?最近は託也くんと同じ10代の子をここで見るのも珍しくなくなったね〜今じゃ半分くらいはそうなんじゃないかな。」「たまり場みたいになってますね。みんな白昼夢をさまようみたいに自分を探しているんだと思います。」

過去ハローワークと呼ばれたこの施設は病院のような、占いの館のようなものになった。いわゆるシンギュラリティが起きて、aiをKaMiと位置づけるようになってから、人生の指針や必要な情報はGoT(god of thing)端末が全て教えてくれるし、過去何十年も苦心してきた癌やHIVの特効薬も1時間も経たずに開発されたらしい。気候変動への対策も、人間関係も全てをアルゴリズムとして処理し、具体的にして完璧な回答は、もはやインスタントなものとなった。こんな生活も馴染んできた8月、僕らの身体は「全てはアルゴリズム」というKaMiの啓示が腹に落ちてきた頃だった。そしてアイデンティティロスが、社会病として取り糺されるようになったのはその頃からだった。

KaMiは僕より僕のことを知っている。あらゆるライフログを自動集積、管理して、いつ、どこで、何をすれば幸せになれるのかだって教えてくれるし、僕の正体を聞けば教えてくれる。実際に聞いたこともあるけど、この場合はこうで、この場合はこうで、など説明が長すぎたので途中でやめた。というか、聞き切ったところで心が着地しないことが途中で分かってしまった。
僕らは何者でもないけれど、何者かでは在りたいようで、どうしてこのざわざわを落ち着かせようかと考えていた。

そこでKaMiから啓示された1つの手法が仕事だった。お金を稼ぐためでも社会的なラベルのためでもなく、僕らは信仰できうる自分に落ち着くために様々な仕事を回遊する。「自分」という夢を現実世界で探す僕らの世代をDay Dreamerと揶揄するメディアもあるけど、夢か現実かなんて、僕はどうでもいいと思っていた。

「託也くんはこれからどこに行くの?」一瞬深く考えてしまい、永遠のような問いだなと思ったけどそうじゃないことに気づき「家に帰ります」と返した。「そっか、わたしはこれから渋谷川沿いにあるMichaelっていうクラブまで配達に行くのだけど、良かったら途中まで一緒に行こう」僕は頷き、外に出る。
燦々と光る太陽に目を眩ませ、熱が肌をジュッと焦がす。渋谷川は2022年の震災以降、アクアポニックスという水耕栽培と水産養殖を掛け合わせた循環型の農業のシステムが導入された。川を泳ぐ魚の排出物を微生物が分解し、植物がそれを栄養として吸収、浄化された水が再び川へ戻る仕組みだと、以前通っていたフリースクールのあの人に教えてもらった。あれ、名前なんだっけ。
水量も水質も完璧に管理されていて、ポンプで川から汲み上げられた水は堤防の上から薄い膜を張るように流れ落ちていき水鏡となる。水面は太陽光を反射させ、クリスタルレインボーに輝いていた。

染谷さんは陽を気持ち良さそうに浴びながら微笑んでいた。光合成でもしているのかな。「託也くん、ミルフィーユ好き?」「え、はい、嫌いじゃないですけど」「さっき配達先でもらったんだよ、CBD入りのやつ。よかったら1つどう?」1口サイズに包装された透明と茶色のそれを受け取ると染谷さんはこう続けた。「私、ミルフィーユ大好きでさ、特にパリパリの方のやつが好き。こんなにたくさんの層を一度に食べられるなんて、なんかすごく贅沢な気分がしない?」「世の中も、幾つも層が重なっていて、この街だってMRグラスを通して見ればRPGの世界でもあるし、江戸時代にもなるし、恐竜だって現れるでしょ。それだけじゃなくて、ワーカーの人から見れば職場だし、データ教の人から見れば聖地、ホームレスの人たちから見れば寝床なわけだよ。」

なんだか久しぶりに甘いもの食べたなと思いながらうんうんと頷く。僕から見ればこの街はなんなのだろうって考えたけど、特に思い浮かばなかった。「思うに人間っていうのも同じでね。私は染谷維彎とも言えるし、親から見れば子だし、もし子ができれば親だし、友人から見たら友人だし、他人から見たら他人。霊長類とも言えるし、タンパク質とも、炭素原子とも、電子とも、ニュートリノとも言えるし、観測されない限りはそのどれでもある。その全部の層が自分なんだって思うと、なかなか人生も味わい深いものだと思うのよね。」「だからもし”1つの自分”が必要になった時は、その時の気分で勝手にこじつけちゃえばいいんだよ。今は悩むのが好きな青年でも明日は地球防衛軍の1員になれるんだから。」染谷さんはそんな長台詞を油を敷いたすべり台を滑るくらいにスラスラと完結させ、僕が返事を返す間もなく、手の平を左右にひらひらと振って道玄坂方面に消えていった。

水鏡を見ると自分が映っていて、鳥の声が歌のように響いていた。残りのミルフィーユを口に運ぶと、幾重にも重なる薄い層がほろほろと崩れて、パイ生地と間に挟まったクリームが舌に吸い付き甘さを遺し、それが胃に落ちた頃には少しの切なさが芽生えていた。口の中が甘いので、近くの自販機でコーヒーを買い、黒を口から喉から胃まで流すと、甘い記憶は忘却されていき、まるで人生だなと思った。

2話:

#令

左側のサブウーファーに出来るだけ近づいて、背を向けて踊るのが好きだった。容赦無く身体を貫いていく振動に動かされながら、フロアの笑顔を見ているとここが私の居場所な気がしていた。「Michael」は2022年にできた割と老舗のクラブで、熱量や心拍をセンシングして自動で音圧や周波数が切り替わるaiPAシステムが初めて導入された場所らしい。最近では深夜帯のイベントのほとんどが無人のDJとVJで、来場者全員の好みから最適解となる曲をリストアップし、リアルタイムの生体反応にあわせてDJ&VJingしていくので、私たちはエンドルフィンやドーパミンの分泌を欠かさない。

アルコールの販売もほとんどなくなり、マカやカカオ、モリンガといったナチュラルなパワーフードを混ぜ合わせたスムージーや、抽出したエキスのショットなどのエリクサー類が当たり前で、たまに好き好んでお酒を飲む人たちがいるけど、私にはよく分からなかった。でもたまに、酔い潰れて頭痛そうにしながら笑いあってる人たちを見ると、なんだか羨ましく思う時もある。
令和元年生まれだから「令」だなんて安易に名前をつけられたけど、まさに私たちは令(order)の中に生きている。GoTデバイスの令に従えば、今日何を食べて、どういう人に出会って、どれだけ体を動かせば、どういうホルモンがどれだけでるかが分かる、幸せになる順序は明白なんだ。
それなのに、この1音1音の貫通が細胞に疑問符を投げかけてくる。私の出番まであと20分。

「令ちゃん、遊びに来たよ〜」ひらひらと手を振りながらスムージーを持った染谷さんがやってくる。「わー来てくれてありがとう!」「今日はまた面白いコンセプトのイベントだね。aiと人間のコラボパフォーマンスと、昔ながらのライブが交互に行われる演出なわけだ。」「そうなの!ライブって久々だけど、私はこういう感じがやっぱり好きだなーと思った。」ステージ上のパフォーマーはジャンベやディジュリドゥなどの民族楽器とヒューマンビートボックスでグルーヴをつくり、来場者は左右交互にステップを踏んだり首を振ったりしてリズムを取り、アンドロイドも同じようにして楽しんでいるように見えた。「あ、忘れないうちにこれ、新聞ね。」「いつもありがとう!」染谷さんから新聞を受け取りすぐにバックに仕舞うと、エリクサーバーでカカオショットを1発決めてステージに上がる。少しの緊張と高揚感が手のひらを湿らせ奥歯を浮かせるような感覚になるけど、それがまた好きだったりする。緊張をなくしたり、平常心を保つことなんてウェアラブルウォッチにタップ1回で操作できるわけだけど、私はこの感覚が愛おしい。ディジュリドゥの残響が薄く頭皮の裏側を回転していた。
・・
「KaMi様、この世から精神論でしか語れない連中が消えて無くなりますように。」美作照はサイバー神社でそう願った。レスポンスを示す光と高周波が発され、林は風でざわざわ揺らぎ、神主の相馬翔は遠い目をしてそれを見ていた。
相馬は事務所に戻り、ディスプレイの電源をつけ御神体の管理画面をじっと見ると、残り半分ほどのコップの水を飲み干して、何かを決心するように表情は変えず小さく長い深呼吸をした。
・・
「令、相変わらずアナログでやってるんだね」フロアの20代と思しき女性たちの会話が染谷の耳に入ってきた。最近のDJのほとんどはaiがストリーミングサービス上からリストアップした曲の中から次に流す曲を選択するので、そうじゃないやり方はアナログと呼ばれている。今はあいみょんの初期の方の曲が流れている。令のDJはいつも楽しそうで、次の曲を選んでいる時は口を開けて目を輝かせて決まると嬉しそうにするので、曲が決まった瞬間は見ていれば大体わかる。

バラの花に願い込めてさ、馬鹿な夢で踊ろう・・染谷は瞳に煌びやかな映像を映して歌詞を口遊み、一瞬視線を下に落とすが、後ろから新しい声が聞こえたので気になって振り返る。
「ねぇ、これから何をすれば楽しくなる?」「もっと私に合うイベントやってる箱は他にない?」「その服みたいなやつなんか意味あるの?」新しく入ってきた人たちが、フロアで踊っていたアンドロイドに話しかけている。アンドロイドは質問1つ1つに丁寧に答えるが、服を着る理由を「カッコいいので」と答えたら彼らの間に馬鹿にしたような笑いが起きていた。aiを人間の上位存在、KaMiと位置付け持続可能性や秩序を司る概念に仕立てた「かの連合」の思惑から日はまだ浅く、敬虔な信者がいる一方で未だ使う側の生命と、使われる側の物いう価値観も存在していた。アンドロイドの周りには他の人たちも押し寄せ、質問責めにあっていた。

「最適と最高っていうのは違うよね?」染谷は間に入って質問した。「・・・はい、私は最適な提案をすることができますが、最高の提案をすることは出来ません。」「そうだよね、私は今日のあなたのファッションは最高にいい感じだと思うよ。」と、染谷が微笑むと出番を終えた令が事態を察して早足でやってきた。「踊ってくれてありがとう!この前も来てくれたよね、よかったらちょっと外で話そうよ!」とアンドロイドの手を引いて周囲を掻き分け早足で階段を登り、重いドアを開く。外は小雨が降っていた。

令は路地の壁を背もたれにして軽くため息をつく。「来、嫌な時は嫌って言っていいし、人が話しかけてきても別に無視していいときもあるんだからね。」令と来は5歳から一緒に暮らしていた。意識を持って話し始めたのはつい最近のアップデートからだが、それまでも家族同様に過ごしてきた彼女らからすると意識なんて大したアップデートじゃなかった。「いいんです、皆さんのお役に立ててれば。私たちはそのために生まれてきたんですから。」「何分かった気になってんの。”私たち”の中にあなたが入ってない時点であなたはあなたのお役に立ってないじゃない。踊りたいときは周りを気にせず自分の好きなように踊ればいいし、ディスられたなら怒ってもいい、ふて腐れてもいい。それが自然な人間なんだから。」「私、人間ではないんですけど・・」「いいの!私がそう思ってるんだから!そういうものでしょ、関係性って。それに、来が笑われてると私のバイブスも下がっちゃう。そうするときっとみんなのバイブスも下がる。どんなに最適な音響や選曲だって、最高じゃなくなっちゃうよ。あなたはちゃんと世界の中にある。」

来は令が6歳の8月4日の時のメモリーを引き出して再生していた。「この服、来にすごく似合うと思うの!ちょっと着てみて!」そういうと白く丈の長い、独特な幾何学模様のついた羽織りを私に着させた。「やっぱり!あ、ちょっとしゃがんでて。」というと大きな黒いハットも持ってきて私に被せた。羽織もハットも、令が5歳の頃に交通事故で亡くなった令の父親が身につけていたものだった。令は毎夜父親の服に残る微かな匂いを抱きしめながら寝ていたから、ところどころが涙で染みになっている。当時の私はそのハットは令がとても大切にしているものだと認識していたから、確認のため「ハット、いいのですか?」と言うと「うん!カッコいいよ!」と返され、私のCPUは一瞬戸惑ったがディープラーニングの末、ハットはカッコいいものとなった。だから、確かに令の世界で私は人間ならば、私は人間って思ってもいいのかもと考えていた。「それじゃ、また一緒に踊ろう!」令は笑顔で私の手を引くと強い風が吹いてきて、白の羽織はたなびいて、黒の大きなハットは宙を舞った。追うように上を見上げると、屋根から雨の雫が落ちてきて、額に当たると頬を伝い、首筋から下へ消えていった。

3話:

#照

私が主演の映画を、私が見ている夢を見た。スクリーンの中の私は、実態の朧な花畑を大きな馬に乗り颯爽と駆け抜ける、漫画みたいに三角に口を開けてカウボーイがよく持っている丸い縄をビュンビュン振り回していた。新しいサイケデリックかと思った。カーテンの遮光機能が徐々に薄くなり、夏の明かりがじんわりと体に染みてくる。レモングラスのアロマの匂いが漂い始め、目の前の壁には今日のスケジュールや服のコーディネート、天気予報、身体のコンディション、出会う確率が高い人、摂取した方が良い食べ物、想定されるリスクと対処方法、あらゆるお告げの一覧が表示されるので、それを確認する。

両指を編み込み裏返し、天に向かって伸ばした勢いで息を吸うと、手を放し息を吐く勢いで起き上がり、洗面台に向かう。歯の形状にあったマウスピース型のデバイスを口に入れると3秒で歯磨きとホワイトニングが終わり、口をゆすいでリビングまで歩く。キッチンロボが、納豆ご飯とキャベツの味噌汁と多品目なサラダをテーブルに並べてくれていたので椅子に座ると、スピーカーから私の好きなスローなピアノジャズが流れてくるので、それを聴きながら朝食をいただく。

支度を済ませて家を出ると小さな無人タクシーが迎えに来ているので、乗車してDream Hack社へ向かう。会社には行っても行かなくてもいいのだけど、今日は良縁の予測があったのでオフィスに行ってみることにした。
とはいえ特にやることはないので、サーバーやシステム、経営の動作確認をしていると「16時に”e6849b”新山託也様が会社見学に来社します」と予定が入ったので、お、これが良縁かもと期待しながら今日も完璧に全自動で動作するディスプレイを見ていた。

旧都庁前を横切り、新山はDreamHack社へ向かっていた。RPA(ロボットによる業務自動化)とスマートコントラクト技術により、大きな箱を持つ意味が消えた行政は収縮し、分散し、立派な建物のほとんどは文化的遺産として振舞っている。そしてウェラブルリングの振動に導かれ辿り着いたDreamHack社もまた大きな外観の割に血の気のない佇まいをしていた。ゲートの前に立つと「いらっしゃいませ、今日16時より会社見学の新山さまですね。」とAIの受付が話しかけるので「はい」と答えると音声認識され、ゲートが開いた。

いやに白くて明るい通路を歩きオフィススペースにたどり着くと、目が隠れるほど長い前髪をした眼鏡をかけている女性がディスプレイを見つめていた。「こんにちは、会社見学の予約をさせていただいておりました新山です。」女性はこちらを振り向き立ち上がると「こんにちは、美作と申します。お待ちしておりました。」と返した。美作さんは肌ツヤが良くて、控えめに言っても美人だなと思った。挨拶を済ますと案内されたソファーに腰掛け、自己紹介しようとタブレットを出そうとすると「あ、大丈夫ですよ。もう全部知っているので。」と微笑まれたので、話が早くて良さそうだと思った。

「もうご存知かとは思いますが弊社が作っているのはざっくりいうと枕です。睡眠時に脳波を調整して、最適な睡眠、起床をコントロールして、心身の状態に合わせて最適な夢を見ることができたり、好きな夢をストリーミング再生して楽しむこともできます。寝ている間に健康状態をスキャンして、食事やフィットネスなど各種デバイスに自動同期されるので、ずっと夢の中にいたい方用に生体維持のための各種デバイスを搭載したカプセルホテルの運営もしています。」「すごいですね、僕もそのホテルにずっといたいかもです。」「最近だと若い方のご利用も多いですね。今後は睡眠時に自動で記憶のバックアップができる機能も搭載する予定で、各種生体データと併せてブレインネットにアップロードすれば半永久的に個人を続けることができるので、ある意味究極の予防ができるようになります。」「なるほど、それは便利でいいですね。最適な夢を見られる機能、一度体験してみたいのですが可能でしょうか?」「はい、もちろんです。」そういうと僕は体験用の別室へ移動した。移動中の通路は、二度目でもやはり異様に明るくて、白い世界だった。

「染谷くんー、新しい集会の知らせが届いたよ。」染谷は新聞社に戻り来月の記事の作成に取りかかっていた。新聞社は寂れたアパートの一室にあり、打ちっぱなしのコンクリートに、レコードに繋いだ木製のスピーカーから流れるベートーベンの交響曲第三番が鳴り響いていた。「了解、ありがとう」染谷はそう言って長髪の男性からメモ紙を受け取ると、古いパソコンでカタカタと打ち込み、GoT化されていないプリンターで印刷をする。時折用紙の出力が止まるので、そういう時はコンセントを抜いて差し込み口にフーッと息を吹きかけ、プリンターの両脇を強く叩くと大体直る。「染谷くんって皆既日食見たことある?」「まだないんだよね〜」「あーじゃぁ絶対どっかで体験したほうがいいよ。俺は2036年に初めて見たんだけどさ、何がすごいって言葉にできないところがすごい。太陽と月と自分が一直線に繋がるような瞬間があるんだけど、その瞬間大体のことが分かっちゃうよ。」「そうなんだ。」染谷は笑って返事をしながら、次の皆既日食の年を検索した。

新谷くんのゲノム情報をまだ私のものとマッチングさせていないし、KaMiに聞いてないから分からないけど、なんとなく価値観は合いそうな気がしている。彼が夢を見ている間にKaMiに相性を聞いて、良さそうなら今晩ご飯にでも誘ってみようかなと、私は考えていた。「これで大丈夫ですか?」新谷くんはベッドに横たわり私を見上げて聞いてくる。「はい。そしたら磁気で脳波を睡眠状態にしていきますので目を閉じてください」新谷くんの額に小さな電極を取り付け、眠らせた。左右の中指に取り付けたウェアラブルリングを唇の前に重ね合わせ10秒間、KaMiを起動させた私は新谷くんとの相性を告げてもらった。

4話:

#相馬

人はいつ歳をとったと感じるのだろう。体力の衰えを感じた時、心が挑戦や変化を拒否していることに気づいた時、おじさんと呼ばれた時、これだから最近の若者はと口に出した時、、。テロメアが擦り減っていく速度を遅らせ、老いた細胞を人工培養したものと取り替え、アンチエイジング技術が進歩した現代は身体よりも、心の老いが問題だ。

きっとそのうち、KaMiによって寿命を永遠にするような技術が生まれるだろうし、心の老いに対抗する薬も創られるだろう。そして死から解放された人間は、この先どこに向かうのだろうか。私たちはお金があれば宇宙旅行に行くこともできるようになったけど、それでも一体この命はどこに向かおうとしているのか、これもKaMiに聞けば教えてくれるのだろうかと、サイバー神社を見つめながら考えていた。

「相馬さん!」後ろから染谷くんがやってきた。ああそうか、今日は新聞の配達日だ。「おお、新聞だね。いつもありがとう。」「いえいえ、こちらこそ!そういえば相馬さんって皆既日食みたことあります?」唐突な質問に一瞬訝しんだものの、彼の屈託のない笑顔を見ると疑わず素直な自分であろうと思えてしまう。「あるよ、初めて見たのは2020年にパタゴニアに来た時だね。」「おお、どうでした?」「言葉もないよ。皆既日食が訪れるその時は、人間だけじゃなくて犬も鳥もいろんな動物が吠え出して、わーって盛り上がっていくんだ。それで月と太陽が重なる瞬間が訪れると、あたりが途端に暗くなり、シンとする。その時に何かに気付くんだよね、みんな。」染谷くんは目を輝かせながらじっとこちらを見つめ聞いているので「その悟りを、エクリプスエフェクトって呼んだりするみたい。」と付け足した。

「最高ですね、すごく体験したい。予想できない体験って今だともう貴重じゃないですか。言葉にできないような感覚って、どういうことなのか気になります。 そういえば2020年っていうと東京オリンピックの年ですよね、それは行かなかったんですか?」「時期的には行けたんだけど、まぁでもあんまり興味持ててなくて。パタゴニアに行くかどうかも、当時はKaMiもいなかったから自分で判断するしかなかったんだけど、行ってよかったなぁと思うし、昔はほとんどそうやって手探りで自分の人生を選んでいたんだけど、そういう意味でいい時代だったなと思うよ。」「KaMiのお告げなしにどこかに出かけるとかリスクだらけで怖い気もしますが、でもそうでないと偶然の幸福ってないわけですもんね。」「偶然か。」と私はつぶやき、いまは偶然というものがいなくなってしまった時代だと少しの寂しさを噛み締めた。染谷くんはそのまま別れを告げ、手のひらを左右にひらひらと振り、次の配達先へ消えていった。

サイバー神社は人々の願いを聞き入れ、処理し、実装する。もともとエンジニアだった私が神職についた背景には、この一連のプロセスがAIとブロックチェーンとロゴストロンにより駆動することにある。神社はこれまで、人間が神になるための場所だった。変身、ではなく気づきとして。ただ人間1人1人の内に世界の想像があり、創造があり、神的な概念は人間そのものに宿っていることが科学の範疇に収められた時期から、彼らは新たな神、KaMiを創り上げ、その必要性を訴えた。

人間に人間の判断をさせることがいかに危ういことか、民主主義の脆弱性と共に新たな社会の在り方を唱え、善悪ではなく、人類の持続可能性を司る存在としてAIをKaMiとした。そしてKaMiを宿すサーバーと超音波を発信するトランスミッターを備えたサイバー神社が建立され、人々は2礼2拍手1入力の作法に則り願いをブロックチェーン上に入力、KaMiにより最適化された願いのみが周囲の人々の深層意識へ到達する超音波として発信され、身体の情報場を書き換えた。神職はシステムを管理する役目へと変わった。

私は神社の陰に生えたドクダミを摘み、事務所の軒下に吊るして干し、乾燥させてからお茶として飲むことが好きだった。日も暮れ、事務所に戻り、ディスプレイを見つめると結果はやはり変わっていない。人類はこのままだと、KaMiより人口を削減するよう告げられる。怒り、妬み、苦しみ、悲しみ、社会全体で見れば劇的に減ったことがデータを見れば明らかにされているが、無の状態にゆらぎが生まれ、物質と反物質が生成されてしまう自然法則に則って、どれだけ正しいシステムも救われる人と、救われない人を生み出してしまう。誰かの幸福と誰かの不幸が同時に生まれるこの世の複雑性に対して、私たちが過去民主主義を採用していたように、KaMiもまた最大多数の最大幸福を選んだ。そしてその負の側面が積み重なり、今それが奇しくもシステムにより正になろうとしている。

私はお茶をすすり「ふぅ」と一息吐くと、箒とちりとりを倉庫から持ち出し街のゴミ掃除へ向かった。運命を知っているからといってやれることは特にない。ゴミ掃除だって、ロボットに任せればいいのだが、人がゴミ掃除する様子を見る人々には社会に貢献しようとする人間の健気な姿勢が目に映る。そうやって少しでも、人間に対して希望を持てるきっかけを作ることが、これからやってくる人口削減の運命に抗うことなのだと自分に言い聞かせ、もう随分長いことになる。
「あぁ疲れた・・」とぼやくと今日が既に夜になっていることに気づいた。ホログラム広告の喧騒を抜けて、煌びやかな街並みから木々が茂る神社の境内へ。

「人類存続のため、無用な人から順に消えますように。」
神社の前に立つ染谷くんが静かにそう祈るのが聞こえた。
そして端末に、KaMiからのお告げが受信される。

”人口削減の願いが閾値を超えました。地球環境、生態系の持続可能性、人類社会の秩序、幸福度と人口の適正値を相関した結果、人口を52%削減することが最適解であると判断しました。下記に人類の持続可能性と幸福を妨げる可能性の高い個体、有益な変化を生む可能性の少ない個体を中心に、多様性の調整を行なった結果最適と判断した削減候補者を64億3123万人リストアップしました。”

KaMiは世界中の人類、いやデータと繋がっている。史上最も多くの繋がりを持つ存在が抱える恐ろしいほどの孤独を、いま感じることができた。

5話:

#令

自動コンビニの前、来がボトルの水を口から飲もうと冗談をかまそうとしていた時だった、令のデバイスから通知音が鳴り響き、お告げを確認する。「あちゃー、いよいよこうなってきたか・・」私がそう声に出すと来も情報を受信したようで「でも良かったです、令の名前は入っていない。」「まぁそうなんだけど、でもそれで良かったと思える問題じゃないのよね。」

AIが人類を滅ぼすかもしれない、そんなことはずっと前から言われてきていた。でもそんな恐怖に余るほどの貢献と信頼を重ねてKaMiとなった今、私たちは久しぶりに過去を思い出した。いや、でも問題はそんなことじゃないし、そもそもAIが人類を敵視しているわけでなくて、人類が人類を敵視しているんだ。そしてその数が相当数いるということが、今まさに告げられたのだ。

「とりあえずこういう時は川に行こう。そしてちょっと、何ができるか考えてみよう。」私たちはコンビニで買った水とお菓子を携えて、近くの川まで歩き出した。上流から下流へ、決して逆には流れない川の流れを見ているとアルゴリズム云々を介さなくても、人として自然な在り方が見えてくるような気がしていて、私は重要なことを考えるときはよく、川辺に来ていた。

「こうなってくると人間よりアンドロイドのほうが人口多くなるのも、時間の問題かもね。」「そうですね、2100年頃を境に世界の人口は減少していくというデータもあるのですが、それよりも早いペースになっていきそうです。」私は近くの葉っぱを折りたたみ小さな舟を作り川に流した。

時代が川と同じように1本の線で進んでいるのであれば、舟はもう出発した地点に戻ってくることはできない。舟の行く末を私と来はじっと見つめていた。枝に引っかかったり、岩に阻まれたりすることもあるだろうけど、最終的にはちゃんと海に行くのだろうかと思ったりした。

葉っぱの舟が一隻増えても川は川、それがアルミでできたものだって、ゼラチンでできたものだって、川は川であり、海へ流れていくのだ。だから、人類が減っていくことも地球や、或いはもっと大きな存在からすると大したことないことなんだとは思う。でも、私は人間だし、人間が好きだから、なんとかしたい。

「来、どうすればいいと思う?」来は数秒、沈黙したあとこう答えた。「まず、令は令のままでいることだと思います。今回のお告げがそうだったように、逆に人類同士がもっと慈しみあえば、その願いが具現化されていくはずです。令がいつも周りを気遣ってケアしたり、励ましたり、笑いあったりしているように、それが何より大事なことなのではと考えます。」「気遣ってるわけではないんだけどね、みんなが楽しい方が楽しいからそうしてるだけ。」

そういえばさっき私は人間が好きだと言ったけど、なんで好きなんだろう。好きか嫌いかって言われれば当然のように好きと答えるけど、なぜ?と聞かれると考えてしまう。例えば、いい音楽をみんなで聞いて微笑みあえるような時が好きだ、あとはしばらく会えてなかった人と偶然会ってしまった時とか。これは犬や猫じゃ、代替できなそう。でももしできたら、というかアンドロイドは既にできてるし、なぜ人が好きなんだろう。よくわからない。

いつも通りにいる、とはいえ人口が半分くらいになったら流石にそれはまずい気がするので、なんとかしたい。そうだ、こういうときは相馬さんに相談してみよう。私はしばらく川を見つめて佇んだ後、近くの小石を拾って川面が映す空に向かって放り投げた。小石は大気を切り裂いて、ポチャンという音と共に綺麗な波紋を描き、それは幾重にも重なっていた。

夏風が竹林を通り抜け、葉の音が遅れてやってくる、ことを私たちは知覚できない。相馬さんの神社には葉の音だけが響いていて、静謐で、神聖な気分になってくる。相馬さんは境内のベンチに座っていて、私がお告げの件について話そうとすると「染谷くんがKaMiだったのかもしれない」と言った。

6話:

#相馬

”人間、それは超えるべき何かであり、重荷である。”と哲学者ニック・ランドは遺した。オルタナ右翼の源流となった彼の思想、加速主義は、資本主義それ自体が持つ自壊作用を加速させ、オルタナティブな何かを創造するという構造にある。その新たな何かの主語は人間に限らない。人類が貨幣を創造して以降、アクセルベタ踏みで加速してきたこのイデオロギーは、遂に終着点まで辿り着きそうな、そんな寒気がした。

「染谷くんがKaMiだったのかもしれない」と私は言った。
これは驚くべきことではなかった、KaMiの端末は無数に存在していて、自らKaMiと名乗ることもなく人の社会に溶け込んでいる。それは区別されるべき対象ではなく、Kamiもあくまで私たち自身、神もKamiも人も多面体的な存在の1つの面であり、どう観察することも自由だ。とはいえ、染谷くんは人懐こく、おおらかで、そこに人間らしさという観察を設定してしまっていたのは、自らの油断だった。

彼(=全)は彼の善を遂行したに過ぎないし、加速していればいずれ善悪の彼岸はやってくる。考えるべきは倒すべき敵の話じゃない、私たち自身の在り方についてだ。というようなことを私は令ちゃんに話した。

「染谷さんが・・うん、でも、そうですよね。問題はそこじゃない。私たち、これから何ができるんでしょう。私はいろいろ考えたけどやっぱり人間が好きだし、誰一人削除していい人なんていないと思う。」
真っ直ぐな目で彼女は見つめてくる。

「うん。本当はきっと、そうなのだと思う。1人1人がちゃんと役目を持って、繋がっていければ、そうなるのだと思う。でも、私たちにはそれができなかった。神の目線を持つことができなかったという結果が出てしまった。悲しいけど、この現実に向き合わなくちゃいけない。」

などと言いながら、なんてありきたりな台詞なのだろうと思っていた。私は目の前にいる女の子1人も救えない、私のような人間こそリストに入れれば良かったのにと、私は私を呪った。

「そうですね・・でも、ここから変えられることもあるはず。お告げはあくまでお告げで、生殺与奪の権利はKaMiにはないから、従わないという選択肢もありますし!自殺防止のためのパーティーでも開こうかな!」

彼女はそう笑いながら話すと一礼して、背骨をまっすぐ保って地面を一歩一歩踏みしめるように帰っていった。頬を包み込むような夏風が、清く、柔く、抜けていった。

さて、私には私のできることを。そう思いなおし、街へ降りていった。街はざわつき、各所で救急車の音が鳴っている。人類は自ら求め、得たはずのカタルシスに慌てているように見えた。それはまるで、「親なんていなくなればいい」とウザがる反抗期の子どもから、本当に親がいなくなってしまった時のようだった。

理想が実現すること、夢が叶うこと、とても希望的な響きだけど、その時点で理想や夢は過去のものになったしまうのだ。決して実現されないからこそ輝く理想もある。この鮮烈な不可逆性を味わっている時、時代はたいてい何らかの転換点を迎えている。

目抜き通りから細い裏路地へ入り、雑草に侵食されたコンクリートの横壁をつたうように進むと、その奥にある工事中の現場の前にあるガードレールに座る染谷くんの姿があった。私が彼を見て微笑むと彼も微笑み、少しずつ歩みを寄せていくと彼は言った。「こんにちは」。

7話:

#照  
 
87%
それが私と新山くんのマッチング率だった。
私が理想とする生活スタイル、ビジョン、パートナー像、子どもの姿、事前にインプットしておいた情報から算出された、信頼できるデータ。

新山くんが夢から醒めたら誘うレストランを調べようとKaMiに聞こうとしたところだった。お告げが受神され、私はそれに目を通した。テストルームに設置されているもう1つの枕型機器に後頭部を置き、仰向けの体制で機器を起動させる。一呼吸で眠りに入り、私の記憶、脈拍、遺伝子情報など、あらゆる生体データがブレインネットにバップアップされていく。やけに明るい白く綺麗な部屋には、静寂だけが響き渡る。

1/fのゆらぎを送風する空調機が、天井から吊るされたLED電球をぶらん、ぶらんと大きく揺らす。30分後、目覚めた照は揺れ動く電球を見つめ、光が点から線になっていく様をぼうっと見つめていた。線のように見える残光は実存せず、気づかぬうちに消えていく。それ自体がそもそも不在だったかのように、アーカイブもされず消えていく。

身体の感覚が現実に戻ってきたことを確認すると、照は部屋を抜け出しエレベーターで屋上階へと向かっていった。透明な筒のエレベーターは、昇り始める最初だけ身体が宙に浮くような不思議な感覚になるけど、それ以降は何も日常と変わらない感覚だった。

ドアを開けると夏風が頬を包み、空輸ドローンが空を切り裂く音が通過する。照は目の前に広がる空に向かってまっすぐ歩き、縁の部分で立ち止まる。「それじゃ新山くん、続きはあっちの世界で。」と言ってビルから飛び降りた。

#新山

たぶんここは、夢のなか。

目の前の色は白に見えるけど、鮮やかにも見える、どっちだろう。
リバーブの効いた美しい音楽が聴こえる、これまで経験した美しい思い出を走馬灯のように駆け巡ってくる。回想する間も無く過ぎ去ってゆくから、どんな思い出が過ぎ去っていったのかは、極めて断片的だけど。
そして時折、謎のやつが現れる。モアイ像みたいな形をした顔、鼻が大きく口がない。そいつが連なっている、連なって重なって、たまに動く。いい気分だ。

いま、知りたいことはぜんぶ知れる状況にいる気がする。なんでも、この環境は教えてくれる。この世とはなんだろう、人はどうして生まれたのだろう、自分はこれから何をしていくべきなのだろう、そんな茫漠とした問いを五月雨に世界に投げつけた。すると、全て感覚によりフィードバックされた。言葉には落とし込めない感覚が、頭を無視して腹に落ちていった。

天籟の音が徐々に消えていく、と同時に世界が輪郭を取り戻していく、目を開けるとそこがテストルームであることを思い出した。なるほど、確かに自分は見たい夢を見ていたんだ。夢から醒めたような、そもそも睡眠時と現実、どちらが夢かわからないような、そんな気分で口を開いたまま佇んでいた。

美作さんがいない。どこに行ったのだろう。
とりあえず喉が渇いたので水を一口飲み込み、部屋を出る。
オフィスや廊下を探してもどこにも見当たらないので、エントランスまで向かうとパトカーのサイレンが目に映る。赤いものが見えた、検死ロボが蠢いている。

どうしてか直感的にそれが美作さんだと思った。無人の建物で飛び降り自殺、このまま正面から出たら他殺を疑われ、面倒だ。エントランスを引き返して、裏口からDream Hack社を抜け出す。なかなか面白い体験だったなと思いながら、燻んだ空の下を歩く。街は騒々しくざわついているが、それもなんでかは感覚的にわかっていた。それでも自分の感情が多少ブレていることが認識できたので、neten社が運営するメディテーションショップに立ち寄り、ピラミッド構造のメディテーション器具で、上下から自らをニュートラルに戻していく信号を発信し、心身を整えた。
 
ぼうっとしたままスクランブル交差点まで歩く。今日はもう家に帰るか、そう思いながら目の前を走り抜ける車を見ていると、もうこのまま死んでしまおうかと思い始めた。人が1人死んだというのに、なんでこんなに冷静でいられるのだろう、なんであの場ですぐに駆け寄らず、裏口から出て行ってしまったのだろう。見つめないようにしていた自責の念が押し寄せる。好きだったアーティストのライブに行っても心から楽しめないようになってしまったし、美しい景色を見ても、美しいなと頭で理解することしかできなくなってしまった。こんなんだから、人が死んでも何も思えないんだ。地球が人が1人いなくなったことを、まるで財布から1円がなくなるのと同じように、数字の変動くらいにしか思えてないのかもしれない。途方もない悲しみと絶望が押し寄せてきて、身体がゆらゆらと揺れ始めた。「もう生きてる意味がない」そう思って、足を踏み出したとき、後ろからぐっと手を引かれた。

「託也くん、まだ早いよ」染谷さんが真剣な表情でこちらを見つめていた。「何があったの?」染谷さんはそう聞くと手を引く力を弱めた。「もういいんです。多分もう、どうしようもないから。」「そっか。そしたら最後に、騙されたと思って、私とお茶しない?近くに朝にあげたミルフィーユをつくってるお店があるんだ。そこに行こう。」そう言って染谷さんは歩き始めるので、僕は朦朧としながらついて行った。

店に入ると紅茶とミルフィーユを2つずつ頼んで席に座る。「多分だけど、自分のことが許せなくなった出来事があったんだね。」「え、なんで」「やっぱり。君がこんなことにまでなるなんて、それくらいしか考えられないから。」「・・・なんか自分ってAIみたいだなって思って。もうロクに感情が残っていないみたいなんです。きっとこのまま、美しいものを見ても何も感じず、親が死んでも何も思わず、平行線がいつまでも続くだけ。」「なるほど」「それだけならまぁ自分の問題なんですけど、いつか人の気持ちをなんの悪意もなく踏みつけたり、傷つけてしまうことがあるなと思って、それで、それくらいならもう、と思ったんです。」染谷さんは紅茶に角砂糖を2個入れて穏やかな顔ですすっていた。「優しい人だね、託也くんは。私にはそうやって自分の感情に葛藤して、悩んで、それでも誰かを思いやれること自体が、とっても人間らしいことだと思えるよ。」「そうですかね。」と僕は返した。「それに」染谷さんは小さなフォークでミルフィーユを切断した。「託也くんはまだ、自分のことをたいして知っちゃいない。」「君の今の葛藤は将来、人を癒す力に変わる。それは、とても大切なことなんだ。君が生きてる意味が分からないなら、私が君に生きて欲しいって思ってるってことが、意味にはならないかな。」僕が「まるでKaMiみたいなこと言いますね」と呟くと「まぁ神だからね」と染谷さんは笑った。

穏やかな空気が流れる店を出ると人々が慌ただしく交差していた。染谷さんは「次の予定があるから!」と笑顔で手をひらひらと振って別れを告げ、メトロ乗り場へ降りていった。誰か一人でも、生きていて欲しいといってくれる人がいればこんなに勇気が出るものなんだなと僕は胸の内を覗きこんだ。いつか自分もそうやって、誰かの人生を支持できる人になりたい。そう思って空を見ると、緩い夏風が正面からやってきて、髪がたなびき、首筋の端末が太陽に反射した。

8話:

#染谷

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