花束を君に
母方の祖父が他界して1年の月日が経つこの日に考えることを書き留める。
私は、死別は誰しもが経験することであり、人によっては故人に対して持つ感情の大小があると思う。
そうしたときに幼少期を祖父母の家で過ごした私にとって、日々に「彩りと優しさをくれた大きな存在」であった。
シンプル且つシャープな抽象的な歌詞、メロディ、この曲の全てが素直に心に響いた。
自由な解釈を可能にしてくれる表現がどれだけの人をわたしを、救ってきたのだろう。
故人との関係性は考えることをやめない限り変化し続ける
宇多田ヒカルのこの言葉の真意を理解すべく日々を過ごすうちに自分と祖父との関係性に少しずつ変化があった。
祖父が認知症を発症
帰るべき家を忘れた時
好きなもの、好きなことを忘れた時
私の名前を忘れた時
やさしさを忘れた時
無常にも本人の意思とは別に物事を忘れていく祖父を
見るのが辛く自然と目を背けた。
本当に悔やみ、後悔した時には遅かった。
言いたいこと、伝えたいことは届かず、祖父の家からの帰り道には淋しさだけが残った。
しかし、当時のこの「淋しさ」があったからこそ今の自分があると気づき赦すことができた。
似て非なるこの言葉達。
次第に以前よりあらゆる物事に対しての熱量が上がり、初めて自分の人生に向き合うことができた。
そのおかげで周囲の人達との向き合い方も変化した。
ある言葉を祖父に捧げて頂いた牧師さんの言葉は大切にしたい言葉である。
今は伝わらなくても、伝えたい言葉と気持ちを抱えて
いつか巡って会えたなら、笑顔で花束を贈れるように。