「不満」を汲み取って眺める

「これ、いつになったら直るのかなぁ。。。」
なんて某サービスの一部の機能不具合に対して感じながら、まぁ自分もサービスを作る側の一員で有るが故に、難しい時期とか問題も有るよね、なんて感じている。

この感情はきっと、自分たちが創っているサービスでも感じているお客様は居るはずだし、「じゃぁどんなことにそう感じるんだろう」なんて転換しながらプロダクトマネジメント的な思考に発展させていくことがおおい。

リフレーミングと言ってもいいし自分ごと化と言っても良いのかもしれないけれど、そうやって自分の感情を汲み取って少し異なるポジショニングでそれを眺めてみるとちょっとした自分への問いかけになって面白い。

だからといって利用しているサービスに対する不満が無くなるわけでもないし、使っている時には不自由している感覚はなくなりはしないんだけど。。。

思考実験のネタとなる引き出し

上の例ではプロダクトマネジメントの視点から書いたけれど、コレを別のポジションから眺めてみる。

たとえばスクラムマスター的に捉えると、POの優先順位付けに不満があるとか、メンバーがやるやる詐欺していてチームの改善項目が進んでいないとか、割といろんなシチュエーションが思いつく。
チームの中でそんな状況が生まれていないか、誰かがそういう気持ちになってないかな、とかそういえばあの人の意見って吸い上げられてないかもな、みたいなふとした気付きに繋がっていく。

このように自分の中にある、ないしは経験している立場ごとに眺めながらふわふわと考えてみることで思考は広がっていく。その引き出しの多さは専門的にそれだけやってきた人では引き出せない強さになるんじゃないかな。

蛇足だけど、ジェネラリストと呼ばれる「割と何でもやれちゃう立ち位置」の人は器用貧乏的に捉えられるけど、複数の立場から物事を観察するという「思考実験に用いる事ができるフレームのレパートリー」は実はいっぱい持っているはずで、「いろんなタスクがこなせる人」ではなく「複数の立場から物事を観察して各立場の間を取り持つ思考ができる人」になることができるはずなんだけど、あんまり気づかれてはいないのかなとか思ったりもする。

状況の構造をフレームとして捉えて、「リ - フレーム」する

「不満」から始めた記事だけれど、感情は思考のフックとして使っている。
感情を眺めて、別の対象に当ててみて眺める。引き出しがあればまた別の対象に当てて眺める。

フレームのレパートリーや、フレームを当てる対象のレパートリーは、多ければ多いほど思考は広がるし、そこから得られるものも多い。

どこを目指すにしろ、ある程度の視野の広さとか視座の広さは持ち合わせておいた方が中長期的には思慮深さが身につくんじゃないかな、なんて思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?