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あるく私と、世界

5月はやっぱり、空気がいい。気道が急に開いたような、冬のあいだこんなに大きく息を吸い込んでいなかったよなと思い出すほどに、窓を開けるだけで幸せになる。
無事に、2年目の田植えも終わった。集まってくれたみんなと、一列ずつ手で植えた。1年目と2年目でこんなにも心の余裕が違うのだと気づいて意気揚々としていた矢先、田んぼが水漏れしていることが分かり、うろたえて富山さんに助けを求めた。シートを張ってなんとかなったけど、焦った…2年目なんて、まだまだ予想外の日々だ。

田んぼの水漏れは、畔の田んぼ側のどこかに小さな目に見えないほどの穴があくことによって起きる可能性が高い。深くまでしっかり耕されていること、粒の細かい「泥」が耕された部分にまんべんなくしみこんで穴を埋めていることで防ぐことができる。「泥」が偉大だということが分かった。

先日、自分があまりにもスマホと車に依存していることに呆然となり、携帯を家に置いて田んぼまであるくようになった。歩いているときは、驚くほど頭の中で小さな自分がしゃべりはじめる。ぐるぐる思考が進む。なんとなくすっきりする。

そんなこともあり、とある休みに「1日も車を使わない」と決めて行動した。もうひとつの拠点である新潟市西区は、電車と歩きで比較的いろいろなところに行ける。越後線に乗って知り合いのイタリアンレストランへ行き、その後バスで新潟市美術館へ。「絵本の原画展」を見て(大好きな林明子さんの絵に胸がきゅううとなり)少しお茶して帰ってきた。相棒ともいろいろな話ができた。

電車に乗っているとき、あまりにもいつもと違う気分になることに驚いた。車窓の景色を珍しそうに眺める。かなり久しぶりだったんだろう。そこでふと「この現実世界には、全く異なるいくつもの世界が同時に存在している」と感じた。「世界」ということばが合っているかは分からない。もしかしたら、「じかん」という言葉の方がいいかもしれない。
だって、私たち他人同士は、全く同じ感覚を共有できないことが多すぎる。同じ場所にいても、違うことを感じてる。頭の中に全く違う世界が広がっていて、それは言葉や色や数字や温度やいろんなもので構成されていて、ぴったり一致するなんてありえない。そして人間以外のものたちの世界もある。

ー時間というのは、過去・現在・未来というふうに同じように進んでいるのではなくて、場所とかにあるっていうか…誰かに決められたものじゃない。あなたが思い出せるなら、その人はそこで今も笑ってる。

大豆田とわ子と三人の元夫

昨年の名ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の、名台詞。たまに、自分のタイミングで、じかんや世界を移動すればいいのだろう。あと、いろんな世界が同時に存在している、と分かっていること自体にどこか安心感がある。すべてに自分が関わらなくていいし、逆にすべてが自分とつながってるのかもしれない。なんかそんな気がしてちょっとホッとする。


最近仕事をバイト的におてつだいしている人が、とても面白い人で、話すのがいつも楽しみだ。私が予想する範囲の、ちょっと「外」の返しをくれるから。唯一無二感がある人だ。いやみんなそうなんだけど、特に。
すごいなと思うのが、私としゃべってるときも、他の人としゃべってるときも、その人の所感が私にひたすら一方的に投げられるときも、話すトーンや表情、選ぶ言葉があまり変わらないこと。その代わり、たぶん日々話す人数やペースは私より少ないと思う。少なくないときつい、という感じだ。自分からごはん会を開いたりとかはしないタイプ。

私は、自分が欲している?受け入れられるコミュニケーションの量はたぶんその人より多い。1日1回は誰かとしゃべりたいし、毎週末になにかしら自分から誘った予定を入れている。初対面の人とも、浅いかどうかは置いておいて、相手が楽しいと思えるような時間は作れる気がする。

でも、私は人といるときに、「これぞいのうえゆき!」という感じの変わらない自分で居れない。話し方のパターンとして、8種類くらい?の自分から、この人にはこれがいいか…というのを無意識に選んで変えてる。もはや、変えさせられてる。相手のもっているなにかに引っ張られてしまう。人に合わせて疲れる、というのとはちょっと違うんだけど、なにかをその人からいっぱい受け取って容量が早く満杯になってしまうような感じ?

なんとなくだけど、そういう部分があるからこそ、「1人」でいる時間が大事なんだと思っている。携帯を置いて散歩するその10分に、私は特に「1人のわたし」になれる。頭の中で自分と対話できる。人と話してるときは、頭の中の自分はどこかにいってしまって、もっと反射神経とか身体で反応している感じがある。

そんなわけで、あるくことを日課にしたい私でした。日記。


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有紀
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