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57歳アメリカ留学・就職・永住権取得日記(4)

旅行ついでに、ニューヨークで就活。

 という経緯で、気が進まないニューヨーク行きを決めた。当時は尋常でなく仕事が忙しかったことを覚えている。運動部の顧問もしていたため、黄金週間でも練習か試合がある。私が休むと他の顧問に迷惑がかかるわけだ。しかし、結局、仕事と家族とどっちが大事かということである。
 夜中に飛行機の手配などをしていた時、私は突然凄いことを思いついた。

「あれ? 行くついでに、就活っていう手もアリ?」

 私は高校の国語教師と並行して、フリーランスのライターもしていた。それまでは「国語教師」か「日本語教師」に応募し、80件近く涙の落選を続けていたわけだが、考えてみたら私には「ライター」という奥の手もあるではないかッ。ニューヨークだったら日本のミニコミ紙が必ずあり、そこで仕事にありつけるということが、万が一無いこともない。とはいえ、今更この年で?
 
 こっそり検索したら、ニューヨークの日本人向けミニコミ紙は3紙ほどあった。定年も近い私であるから、今更マスコミに応募してみたところで、「なんでこんなババアから?」など笑われて終了かもしれぬ。しかし、ババアに失うものは何もないので、とりあえず履歴書と「雇ってくれませんか」メールを、3社全部に送りつけてやったのである。幸か不幸か、無視と落選には既に慣れていた。
 すると、なんということであろうか。
 私に「会ってもいい」という有難すぎるお返事が「週刊NY生活」編集長の三浦良一氏から送られてきた。信じられなかった。しかし、一体何のために会うのか、その心は全く分からなかったのだが、とにかく「会わない」という選択肢は無い。約束の当日、少女のような心をときめかせながら、五番街にほど近い編集室のドアを、震える手で叩いたのである。。。
 同行中の松子お姉さまを、その時、ニューヨークのどこに置いてきたのかよく覚えていない。しかし、ちゃんと一人でホテルに帰っていた。
 松子様は、街角で黄色いタクシーを捕まえ、ホテルの住所を見せて、
「ホテル、ゴー! って言ったら着いた」
 と仰っていた。

 

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