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雪が降ると思うこと

93になる爺芋の母親(当方の祖母芋🍠やな)が、上標津という町で生まれたらしい。
当方も、そして爺芋すらも行ったことがない、芋家からは遠い遠い地である。

祖母様は、豪快な人であった。
いつもがはははは、と笑っていた。
当方が小芋の頃はやたらと大きな人に見えて、
「良う来た、良う来た」と抱きしめられるのが少し怖かった。
なんなら山姥のように見えていた。

まさにこれ。



祖父様は「土方の棟梁」で、男衆を引き連れてはあちこちの現場を歩き、祖母様は賄いをした(のではないかと思う)。
足手まといな子供だったであろう末っ子の爺芋は、小学校に上がる年から親と離れ、一回り離れた兄貴と中兄と、3人で暮らしたという。

すげぇ時代だな、おい!。
(*_*)

弁当箱にぎゅうぎゅうに詰めた米に味噌を載せたものを3つ作るのが、毎朝の自分の仕事だったと、酔うと未だに何度も同じ話をする。


豪快だった祖母様は、自由な人でもあった。

戦後の混乱期だ。知り合いの孤児を引き取り、娘として育てたりした。

その一方で、だいぶ嫁いびりもしたという証言も一部から聞こえてくる(笑)。
やりたい放題な嫌なババァだった、と言うのは、反りが合わなかったうちの婆芋である。
たぶん、どこかで似た者同士の嫁姑だったのだろう(ワガママな所とかが)。




逆に、記憶の中の祖父様は、ちんまりとして、炬燵の定位置でニコニコしている。

こんな感じ

とても、荒くれ男たち(イメージ)を束ねて歩いたとは思えない。

逆じゃね?(゜゜)


しかし、

爺芋の机にある、色褪せた二人の写真。
今見ると、フツーの小柄な老夫婦である。




北海道には、若かりし頃に相方と貧乏旅行を一度だけした。
駆け足で観光地を巡る、二泊三日の慌ただしい旅だった。
もちろん、上標津には行っていない。

当方のルーツの一部である北の大地。
雪が積もる頃になると、何とはなしに気になって、ついつい道民の方には絡みたくなってしまう。

ご迷惑を、おかけしておりまする。
m(_ _)m

☆ヘッダー写真、お借りしました。いつもありがとうございます!

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