見出し画像

反省文(創作大賞感想)

創作大賞に、応募してしまった。

した、ではなく、しちゃったぁぁぁ、である。


今年は長文を書くのが目標だったし、何かしらの賞にも応募してみたかった。
「夏休みの宿題をちゃんと出せる自分」である。

春先から書き始めたのは、芋と言えばの「推し活」話。

しかし、筆が全く進まない。
主人公を変えてみる。
視点を、舞台を変えてみる。
捗らない。

日頃、1000字を超えたら長いかなぁと思うレベルで書いているためか、ただダラダラと纏まりがつかない。

気づいたら、7月も20日になっていた。

もー、無理やん!と、大の字になって不貞腐れ、そのまま昼寝をしてしまう。


再びnoteを開けた時、飛び込んできたのはこれだった。

あれ?
山ちゃん、いつもと感じが違う。

一気に読み終えた時、感じたのは恐ろしさだった。

ティコさんのを読んだ時の衝撃に近い。

こんなものを書く人たちに、敵うわけがない。
覚悟が違いすぎる。

ひと夏の思い出に応募しよっと!なんて、地元の商店街のミス〇〇(今はもうない文化か?)に出るようなレベルではない。

しかし、寝直そうとしても、夏子が目に浮かんできてしまう。

妙の車を見送る夏子の、もちろん見たことなどない小さな背中が、当方の焦りを駆り立てる。

書けよ、お前も何か書けよ。



インスパイアだの、オマージュだのという言葉はよくわからない。

当方が書きたかったのは、坂の上に閉じ込められた夏子を解放する話でも、妙がぎゃふんと言う話でもない。
それでは足りない。

夏子の次の世代が、坂を降りる話が書きたかった。
書いているうちに、ずいぶん変わってしまったが、設定としては令和6年の7月ではなく、15年くらい前をイメージした。
もちろん香織は芋ではなく、夫も相方芋ではない。
夏子を知らない、けれど夏子のような誰かに思いを馳せる次の世代を、坂の下に向かって歩かせてみたかった。


勝手に憧れて、勝手に感想文まであげてしまった。
山ちゃんとティコさんにまず、お詫びを申し上げます。

そして昨日もお写真お借りしました、しのあや紅里さん。いつもありがとうございます。

昨日全力を絞り出した100パー芋(©ヨッシャマン)は、今日はヘッダーの猫になって溶ける予定である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?