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【夏休み×小学1年生×働くオトナ】の実況報告

小学1年生の息子がいます。8月。小学校が夏休みに入ってしばらく経過し、はじめての「夏休み」なるものにも慣れてきました。自営業(専従者)なので、許可されるか否かは別として”学童に入れる?入れない”の選択肢がありましたが、学童にいれずに自宅でともに夏休みを過ごすことを決意した母です。

自分の働き方との葛藤や、夏休みの過ごし方は色んな意味でこれでいいのかなど悩みはつきませんが、「夏休み」「小学生」「働くオトナ」周辺についての現実と思ったことなどをまとめていきたいと思います。


子どもの夏休みは親の働き方を揺さぶる存在

最近、新聞やネット記事でも「二者択一」という言葉についつい目がいってしまいます。女性は結局のところ仕事か?家庭か?の二者択一を迫られている……という類の記事。

確かに。確かに。激しく同感すると同時に、どこか釈然としないものが残るのは何でだろう……ということを考え続けております。

家庭or仕事の二者択一?

私は自営業(農業)専従者という立場にいます。世間から見れば「お手伝い」と言われることが多く、そのことにいちいち目くじらを立ててみたり、受け流して我が道を歩いてみたり……となんとも微妙な立ち位置におりますが、働いていることは事実。そして時間に融通が利きやすいことも事実、でも納期と仕事は誰も肩代わりしてはくれないこともまた事実。

日々の働き方も、トータルで稼ぎに繋げるパフォーマンスも、仕事と家庭の境目はとっても曖昧なわけです。これを逆手にとって都合よく解釈すると、じゃあ子育てに手をかけどきの今はグラデーションの中でも家庭を濃いめでいこうかな……というのが今の私です。あくまでも人生のしかるべきタイミングによって仕事と家庭のグラデーションの比率を変えるようにしてやっていきたいというのが本音。職業・家族形態・子どもの特性・住環境問わず、これが誰でも当たり前にできる世の中であればいいのに。二者択一ではなくて……。

私の場合、子どもが上の子が保育園時代は0歳児の頃からフルで保育園のお世話になりました。その後、ある程度子ども自身の自我や意識が育ってきて、しっかりコミュニケーションをとっておきたい小学生低学年のうちに1番子どもと向き合う時間をとりたいというのが私の理想です。子どもが小さいうちは……なんてよくいうけれど、「小さいうち」の捉え方は人によって違います。下の子の成長も考慮して、3年後には時間量を変えていきたいと思っています。

二者択一なら私は「家庭」派?からの違和感

自分の中では家庭>仕事のグラデーションの渦中。しかもそのグラデーションは結構美しい気がする!なんて思っているのですが、仕事か家庭か二者択一で言うならば、私は世間的に見れば「仕事」を諦め「家庭」をとった方なのでしょう。そしてその選択の中で「いやいや二者択一なんてあり得ないでしょ?家庭にいながら働くし!働いてるし!」とぶつぶつつぶやいているわけです。

家庭派の夏休み、とりあえず理念の部分ではかなり悩んでます。これでいい!向き合おう!と決めているのに、単純に働く時間が減っていくことへの罪悪感。それをリカバーしようとすると体力も気力も消耗していく現実。

夏休み「満喫してるyo!!!!!」


理念部分はモヤモヤがつきませんが、現実の夏休みはわりと充実しています。川遊び、山登り、体験イベントへの参加、外食などなど。note更新も仕事も手につかないほど。

夏休み前に用意していたこと

  • 素麺箱買い

  • 近隣の公共施設(図書館、博物館、美術館、自然公園系)のイベントスケジュール入手

  • 大型の家族イベント(キャンプ、BBQ、その他お出かけ、親戚集いなど)のスケジュール確定

  • 「夏休みだ!=仕事あんまりしないぞ〜、子どもといっぱい思い出作るぞ〜、夏休みワクワク♪」という母親サイドのモチベーション、仕事の段取り。これが1番重要でした。

毎日の過ごし方

基本的に家族全員が早寝早起きを心がけています。言われすぎててつまらない気もしますが、早寝早起きだけで1日の満足度と諸々の能率が1.3倍くらいにはなる気がします。

朝起きたら朝顔観察。暑くなる前に洗濯物を干し終えます。そして母子でラジオ体操。子どもたちにはそのまま7時半くらいまで外で遊んでもらいます。
朝食を終えたら下の子を保育園へ。その後、小学1年生の息子と家を掃除し(1年生は話し合いの結果玄関掃除係)ひと息。宿題を進めた後自由時間となります。今日は仕事させて!と断って「あ〜つまらない、ひま、夏休みなんて!」というサウンドを聴きながら過ごす日もあれば、図書館に行ったり公共施設のイベントに行ったり、水遊びに行ったりする日もあります。お出かけの日も特別感を出しすぎないことを意識しながら半日程度で切り上げます。

とりあえず私の仕事時間はごく細切れに、細切れに、細切れに……パッチワークのようにつぎはぎして確保していきます。

家で過ごす派の課題

子ども自身は毎日そこそこの充足感と退屈を抱えながら、それなりに夏休みを楽しんでいるようです。
それでもやっぱり友だちと遊ぶ、父母以外の人とコミュニケーションをとる機会が圧倒的に少ないことが気になります。本人もそれがつまらないようで……。よく遊ぶ友だちに会おうとしてみたけれど(親同士連絡を取り合うことはできなくはない)うまくいかず。
学童に行けば、友だちがいて退屈をすることはなさそうです。うーん、考えてしまいます。夏休みだけ学童に入れた方がよかったのか……?

でも、「予定がない」「退屈」ってことも味わってほしかったんですよね。欲を言えば、退屈だからどうしよう?と自分で考えられるようになってほしいものです。欲張りすぎかもしれないですが……。

時代の変化と変わらないものって?

今と昔を比較したところで、今を生きているヒトも取り巻く状況も違うのだから無意味なのだけれど。それでも今の夏休みはやっぱりハードな気がします。

昔はこんなに暑くなかったから(だから日中も元気いっぱい外で遊べた)
昔は近所付き合いが濃厚だったから(だからその辺で安心して自由に遊べた)
昔はお母さんが働いていなかったから、おじいちゃんおばあちゃんがいたから(だから学童にいく子は少なかった)
昔は夏休みに学校が開放されていたから(プールにも図書室にも気軽に行けた)

今って夏休みって言葉のパワーやイメージのキラキラ感はそのままに、「家にいろ」「学童行け」「体験の機会を親が作れ」という三択が幅をきかせている気がします。

子どもがいくつになっても、子育てってきっと手探り状態なのは変わらないんでしょうね。それでついつい参考情報として自分の子どもの頃のことを引っ張ってきてしまいます。私はこうだった!こうして欲しかった!これが嫌だった!これが楽しかったなどなど。
それ自体が悪いことではないけれど、ついつい自分の欲求や体験を子どもでリカバリーしてしまいそうになることもある気がします。「こうしたかった」を子どもで再現させようとしてしまうというか。もしくは時代が変わっているから、それは無理難題でしょ?ということに果敢にチャレンジしようとして疲弊してしまうことも。夏休みって特にそれが試されてしまう期間だなぁと折に触れて思ってしまいます。

まとめ。そうやって夏休みは続いていきます

せっかくの夏休みだから!と自分の子どもの頃のことを頭に思い浮かべつつ、夏休みを後悔したくない!させたくない!と意固地になっているのも事実。これ以上暑苦しくしたくないよな……と子どもの様子を観察しつつ悩みつつ。
当たり前ですがベストな夏休みがどんなものかなんてわかりません。できることと言えば、少しでも仕事を進めて同時に思い出を積み上げていくこと。

まぁ夏休みに集中することで、朝の朝顔の数に喜んだり川の水の冷たさに驚いたり、子どもとの会話を楽しんだり、自分ペースではない時間の過ごし方を体得したりと、日々徳を積んでいる気がしております。長い夏休みに引っ張られて思いのほか長文になりました。

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お読みいただきありがとうございます!
このnoteはアラフォー農業専従者・2児の子育て中の私、imoえんぴつが農業以外で自分の看板を立てようとして始めました。イラスト・文・グラレコなどを駆使して見える化≒デザインを広く練習中です。文具好きのアナログ人間。子育て・日々の気づき・文具・キャリアチャレンジ・デザインの勉強・イラスト・はたまたnoteそのものについて……などをテーマにnoteを楽しんでいます。

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