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「死」について

「死にたい」と思ってきた私だが、最近「死」について考える機会があった。

私の母の親友で、私も小さいころからお世話になった人が亡くなった。高血圧による脳幹出血が原因。トリマーをしていた彼女は、仕事中に自宅のトイレで倒れていたそう。

トイレまでの道のりに、吐血の跡や本人の顔には便器に頭を打ったと思われる痣。苦しみながら這ってトイレに向かったであろうことを想像すると、ただただ胸が痛くなる。

彼女は犬が大好きで、トリマーをするだけでなく自分で犬を2匹飼っていた。うち1匹は体が悪く、介護が必要な犬だったそう。彼女は亡くなる前日まで、一日中つきっきりで犬の介護もしていた。

きっと彼女は、大好きな犬のために、愛する家族のために生きたかっただろう。明るい性格の彼女の周りには、人も犬も集まる、太陽のような存在だった。亡くなった当日、彼女のもとには数百人もの人がお別れに訪れたそう。

生きたくても、生きれなかった彼女は、時に「死にたい」と考える私をどう思うだろうか。きっと、彼女は素敵な人だから「何言ってるのよ、どうしたのよ」って明るく、それでも優しく元気づけてくれるかもしれない。

最近は毎日幸せで、死にたいと思うことも少なくなったが、それでもたまに「こんな自分は死んじゃえばいい」と思ってしまう。自分を好きになれれば、こんなに多くの不安を抱える必要はないのに。

話は少し逸れるが、今日『ドクター・デスの遺産』という映画を見た。実は上映されたとき、映画館で見たが内容をすっかり忘れていたのでもう一度見ることに。入りで、すべてを思い出した。この映画を映画館で観終わった私は、「死」について考えを巡らせた。

「安楽死」は正義か、悪か。

「死にたい」と願う人を引き留める権利があるのか。「死にたい」と願う人を「死」に導く人を責めてもよいのか。正直私はまだ答えが見つからない。

自分の死にたい気持ちが、悪なのか正なのか。生きるということが正義なのか。

ただ理解ることは、「人の一生は、そんな簡単なことじゃない」ということだけだ。

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