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19~21歳

過去の悲惨な恋愛の数々を、嬉々として語る23歳の私。これはつい最近までの私。死にたいと泣き叫ぶ23歳の私。これは先週末の私。

「頭がいいのに、頭が悪い」。私が病んだとき、友人が私を"評価"した一言がこれだ。中学の頃は常に一番を目指して部活も勉強も一心不乱に取り組んだ。聞き分けも多分よかったし、勉強ができるだけじゃなくてノリもよかったから友達も多くて先生からも気に入られ、後輩からも慕われた。自覚するほど自分に自信があったあの頃の私はもういない。

確かに中学の時も親友に裏切られた経験があるけど、それでも乗り越えられたのは、心に余裕があったからかもしれない。勉強も部活もできる自分は、親友に裏切られたって平気だった。

高校に入ってからも、「裏切られた」経験はある。このころは部活以外どうでもよかったから、部活の思い出と、地獄みたいな女子クラスに人間関係の面で鍛えられた。自分は無敵だと思っていたので病むという概念すらなかった。

問題は大学に入ってから。まともに恋愛したのは、きっと19歳からだろう。急に人肌恋しくなり、大学では真面目ちゃんで友達も少なかった私が、化粧や女子力を上げる諸々を頑張って慣れない恋愛に手を出した。

今思えば、この時に恋愛にのめりこんだのが事の発端。だけど当時はなんだか必死だった。結婚していく友達、彼氏の話を楽しそうにしてくる友達、純粋に片思いの相手のことで一喜一憂する友達、みんな輝いてた。私も輝きたかった。

でも、そんなに簡単じゃなかった。

19歳の頃、デートした男の人にほぼ無理やりされた。私の初めてだった。私が今まで男性経験がないことを知ったうえでのことだったから、相当傷ついた。避妊もしてくれず、次の生理が来るまで毎日が地獄だった。

当時ベリーショートでボーイッシュな恰好をしていた私に、「もっと女の子らしくしてよ」と言い放ち、会うたびに色々文句を言ってきたその男。

その男のおかげもあって、今ではカジュアルで大人っぽい服装を好み、髪の毛も胸のあたりまで伸ばした。それからは、周りの人も私を「女の子」として扱ってくれるようになったが、今考えると、あの時私は私を殺したんだと思う。

私が「女の子らしく」変わってから、すべてが変わった。別れても恋人はすぐできたし、恋愛初心者から恋多き女になった。

20歳になった頃、留学に行くことを決めた私は、再び懐かしいほどの自信を手に入れて、私の初めてを奪っていった男との縁を切った。ほぼ毎日バイトに明け暮れ、旅行という趣味を全力で楽しみながら留学の条件である資格と成績をクリアした。そんな自分が最高の人間で無敵だと思っていた。

それからは、しばらく遊び惚けていた。酒とバイトと旅行。そして勉強。全部楽しんでいたから、それでOKだった。

大学1年の頃は北京に、2年の頃はソウルへ短期留学した私はアジアにこれでもかというくらい友達を作った。その内の一人とは大学2年の春休み、3年に上がる前に付き合った。韓国に住む韓国人の年上彼氏だった。

韓国に会いに来させたくせに、まったく家から出してくれない、ほぼ監禁のような毎日に加え、なぜか予定よりも早く帰ってほしいと現地に着いてから言われる始末。1.5往復分の飛行機代を自腹し、ごはんも全部出前だった。

今でもそいつに会ったら、顔面ボコボコにしてやりそうになる。

家も汚くて狭くて、wifiも借りなかった馬鹿な私は彼氏の家から動くこともできず、最悪な渡韓だった。もはや韓国にいったという感覚はなかった。

外にも出ず5日間くらいずっとごろごろするだけ。デートとすら呼べないだろう。それでもやることはきちんとやるその男は、韓国でもめちゃくちゃ有名な大学を出た人だったけど、脳みそと心はからっぽな人だった。

結局帰国してから連絡がなかなか返ってこなくなって、別れた。別れた当日はアメリカに友達と旅行に行く予定で、それを知っていてあえてその日の出発前に別れを告げてきたその男。ある意味やさしさなのか知らないけど、アメリカ旅行があったおかげでダメージは少なかった。

その後私は「もう恋愛はこりごり」と言いふらしていたが、すでに恋愛脳になっていたから恋愛と距離を置くことができなかった。依存体質がこのころから出来上がっていたのかもしれない。

案の定、すぐに当時のバイト先の後輩に片思いした。この続きは次に書く。これは私の中で、久々に経験した純粋な恋愛であり、相変わらず地獄のような人間関係を味わったから。結構今でも特別な経験として、心に刺さっている。

これが私の19歳~21歳数か月までの、地獄の序章だった。


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