合唱曲「春に」と、詩人・谷川俊太郎への畏怖
きっと人生を何周かしている記憶を留めた、
輪廻転生の苦行に今まさに臨む阿羅漢かそれ以外の何か。
中学背の頃、合唱コンクールで出会った「春に」という曲の歌詞を読んだ時、
子供心に感じた恐怖心を、いま言語化するならこうなる。
「ナマ谷川だ!」と小学生に言われたことがあるという氏。
失礼千万を承知でいうが、私自身、合唱曲の作詞家が存命であるかどうかなど意識すらしなかったものだ。
高校か大学の頃、本屋でたまたま目にした氏の詩集を手に取り、衝撃を受けた。
あまりにも生々しい。
ソレは腥すら感じさせ、嫌悪感すら伴う鮮度。
言葉とは時を経ても腐らないことを、偉人の名言がなぜ残るのかを、まさに思い知った瞬間だった。
それ以来、氏は私にとって畏怖の対象になった。
作品を読むなどもってのほか、「春に」の詞から受け取った生きるための希望に、
葛藤の経験を鮮やかに思い起こさせる文章に、齢30半ばにして未だ縋っている。
そんな気持ちも忘れ、
再びたまたま足を伸ばした地下道の本屋で、
私は再び、氏の名前を見かけた。
ライターのブレイディみかこ氏と谷川俊太郎氏がやり取りした手紙の内容を記した、
「その世とこの世」という本。
ブリティッシュ・ジョークの有邪気さ、
という文面に唇を歪めつつ、
谷川氏がブレイディ氏に返した詩を見る。
空虚、孤独。
湧き上がる言葉とは違うような、
ただそこにある景色の羅列があった。
生々しさとはまた違う空白感には、
どこか温かみすら感じることができて、
谷川俊太郎氏もまた、人間であることを思い出すのだった。
氏への畏怖は未だ止まず。
だが、彼自身も諸行無常の中にあることを知ったのだった。
ナマ谷川、ぜひお会いしたくないものである。
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