武術的マインドフルネス ~存在論的鬱~
益田祐介や名越康文などの動画などを聞きながら、人間とは何かなと考えていた
一人ひとりの感性が全く違う
集団授業を受けていても、どれだけとなりの人とことなる感性で話を聞いているか驚くぐらいの違いがある
理解力も違うし、そこから発生する発想も全く違う、という不思議がある
だけど、実はすごい発想かもしれないけど、小さいコミュニティでその発想を話したときに驚きと共に忌避される側面があり、でも数年後に実はすごいともてはやされたりすることもある、という不思議さがある
いくら未来が約束されてたとしても、周りの批判に萎縮することがあって、これに対してストレスが強い人もいれば弱い人もいる
それはそれでよい
存在論的鬱
名越康文さんが話をしていて、
朝起きたときに鬱々とする
起きても自分の存在がわからなくて、そして何かの言葉にすがろうとしたときに、
「生きてる価値がない」
とか思わぬ言葉をつかんでしまって、深みにはまってしまうということがある
そうしたときに
「これはわたしではない」
という、そう言うことで距離をとる
つい感じているものを自分だと思ってしまう、不安を感じたらその不安は自分だと思ったりしてしまう
手順
からだの感覚を感じる
どんな空気感か
全体的な、ふわふわした感じだったり、景色としてどんな感じなのかを感じてみる
感じたことを言葉にしてみることで、言葉にすることで外在化することでこれは自分ではないと思えたりする
心の点数と体の点数をつけてみる
進みたい方向を感じてみる
呼吸に目を向ける、どんなこきゅうをしているのか、浅いのか深いのか、ゆったりしているのか
呼吸の空気、吸った空気の感じや吐いた空気の感じや空気の流れを感じてみる(言葉にしてみる)
体の感じを観察するということは夕日や星空を眺めるのと同じように、自然を見て雄大さを感じることができる
そして呼吸が深くなったりすることで周りも自然と安心につながる
自分の安心感が誰かに伝わったり、自分の安心感は誰かの安心感が伝わってきたものかもしれない
体の中を見て固いところとか柔らかいところとか見てみる
そして、変化も感じてみる、その固さは変化があるのか、ゆったりと朝日が上っていくように変わっていくのか、自然の変化と同じであるので大きく全体が変わっていっているのを感じてみる
全体の変化に合わせて力を加えてみたり、呼吸が膨らんでくるように動かしてみる
一緒にやってる人の感じを感じてみたり、自分も変わっていくのを見てみる
ベッドやソファやそれを感じてみる、素材を感じるだけでなく、それによってからだがどんな感じかを観察してみる、ソファと背中それぞれがどんな感じか互いにどんなコミュニケーションをとっているかを感じてみる
ゆっくりと指先から動かしていって体を動かして行く