新しいコミュニケーション
仕事をリモートでしたり、
電話でしたり、
気持ちの調整がつかなくなりつつあって、
仕事も責任もって最後までやりとげることもできなくなりつつある
そういうときもあると思って生きていこうと思う
コミュニケーションの基本
父とのコミュニケーションは違和感が多かった。
質問しても返ってこない、おはようと言っても返ってこない、お箸の持ち方が悪いとげんこつがくる、何時にプールいこうって言っていたのに約束が守られない
こういう状態で、社会一般的なコミュニケーションの基本は身に付きにくい
諦めるしかない、しかし諦めるという解決方法を社会一般に持ち込むと自分も含めて大混乱を引き起こす
「この仕事お願いね」
「無視」
「どうしたの?できない?じゃあ一緒にやろうか」
「無視」もしくは「あっ、はい。」
「どこがわからない」
「いや、ぜんぶ」
「……」
会話が会話にならない
コミュニケーションの違い
では、どうしたらいいの?となる
確かに相当困る
非言語のコミュニケーションが多いのかもしれない
小さいときに父とのコミュニケーションで困ることはあったが、社会人になってから振り返るとあのコミュニケーションはおかしすぎるなぁ、よく一緒に生活できていたなと思う
言い方を変えれば、父の発するコミュニケーションに一定の理解を示していたとおもいえる
コミュニケーション方法を変えないといけないのだとも思う
なんでこっちが変えないといけないんだ、向こうが成長して変える必要があるだろうとは思うが、できないものはできないのである
かといってできない方向性の努力を強いることはお互いにしんどい。そしてそれを強いることにより適応障害やうつ病にもに繋がると思う
彼らの使う非言語のコミュニケーションに目を向ける必要がある
「言葉にしないとわからないよ」
と言われ、
「文字にして見える化」
して、と言われ多くの人がそれを推進してきた
そうすればみんなにも共有できるし、耳で聴いて苦手な人でも文字でみれば理解できていいから、
と言われてきた
でも、実際にそれはどこまで伝わっているのだろうか?
手取り足取りやってもできないし、文字にしてもできない
彼らの存在意義はないのかと言ったら、もちろんそんなことはないけど、仕事するには足手まとい感はあるし、それを自分が感じている人も多い
人に迷惑かけてるな、もう少しうまくやりたいなと思うけど、できない
でも、だからこそ、一緒に困ったり、どうしようということを共有して動いていくことが必要なんだと思う
そういったことが難しいんだよ
というのはあるけど、言葉だけとか文字だけとかのコミュニケーションだけで物事が解決することも少なく、
なにか新しい非言語のコミュニケーションであったり、ちょっと違う角度のコミュニケーションが必要である
仕事のゴールにおいては不必要なものかもしれないけど、そういった人を巻き込んでいくことが、自分の中の「そういった人」を置き去りにせずに安心感もって業務を進められるんじゃないかと思う
だから効率性のために、言語だけとか文字だけにこだわらず、自分の中にある「そういった人」にも配慮した仕事の仕方がきっと自身のメンタルのケアになるのだと思う。