責任の取り方が苦手な人 ストレス対処法(コーピング)
責任を果たすとか責任を取るという感覚が持ちにくいことがつらい
責任って何なのかと思っていた
なぜなら責任を取ろうとすればするほど、どうしたらいいのかわからない。でも社会人として生きていたらそれを求められるし、責任ある対応をすることで信頼関係を作れたり、安心感を作れたりしてお互いにいいことであると思っている。
でも自分の持っている能力の種類をみても、責任に対する処理の仕方がわからないことも多く、ストレスばかりを感じてしまう。処理できず溜まっていく感じになる。さらには溜まっていく責任に対して周りの人に申し訳ないと思ったり、自分は情けないと思ったりする。
責任の構造
責任って何なのか?
英語にするとわかりやすかったので以下の記事でまとめてみました。
responsibility, accountability, liability とそれぞれ 遂行責任、説明責任、賠償責任
ここでもう少し自分の理解を書くとこうなる
明らかにおかしいと感じるかもしれないけど、時系列でみてみる
責任の時系列
責任はいつ発生するか
自発的や多発的など全て含めて周りから見える形で表現をする(仕事をする、プレゼンする、説明する、バスケをする、卓球をする)
周りが反応する
ここで責任は発生する。
えっ!って思うかもしれない。でもここである。
もう少し説明すると、
なにかアクションすれば周りは多かれ少なかれ何か反応する
例えば右腕を左から右に動かしたとする
まわりに誰いなければ、責任は発生しない
次に、屈強な人がひょろひょろした人の前で動かしたら裏拳のようになり、怪我をする。怪我という反応によって責任は発生する
さらに大谷翔平がバッターボックスでバットを持って動かしてホームランになれば、観客は大喜びとなり、打ったボールに高値が付く、ピッチャーはショックを受けるなど、様々な反応があり、様々な責任が発生する
こう考えると責任というのは、はっきりいってコントロール不可能である
そしてすべての責任を取れ、と言われても、取りようがない
責任の感じ方、種類
責任に対する感じ方は二つの種類がある
不安
期待
大谷翔平にとって、周りの反応は期待として捉えることもできる、また同時に不安に感じるかもしれない。次、ホームランを打てるかな。
社会的に意味のある責任の取り方
ここまでくると責任は様々ある、むしろありすぎるぐらいであり、コントロール不可能であり、困惑する
ここでさらに例えると
周りの反応は自由であってよいと思う、喜ぶ人もあれば、悲しむ人もいるなど、三者三様である
次に、そのケーキをどうするかである
嬉しくなって食べるのか、ケーキが苦手だから食べないのか、相手に対して失礼と思って、家に持って帰るのか、
責任の取り方や断り方は様々である
ただし、責任(出されたケーキ)を頭ごなしに断ることは難しくて、それについて感想や説明などを押し付けてくるのが特殊な側面である。
とはいっても、おかしなことをいってくる人がいるのも事実であり、ケーキに毒が入ってるかもしれないし、
改めて「責任(周りの反応、例えばケーキ)」に対して、「責任の取り方(受け取らない、受け取る、食べる)」は慎重にそして冷静に選んだらよい。
※ややこしいのはその取り方に対しても人は様々な反応をして、新たな責任求めてくるからやっかいではあるが、一つずつ対処(受け取らない、無視するという自由も含めて)したらよい
責任の期待と不安
周りは様々な反応をしめし、感情面も含めて反応する
そこには自動的に期待や不安も発生している
責任を取る側、もしくは周りの反応を押し付けられてる側は取捨選択しないとしんどくなる
期待は嬉しいけど、応えられるかわからないし、不安に感じているからといって、その不安を押し付けられても困る
だから、改めて考えてほしい。
責任は他人のものであるということ。
あとは人生をたのしく豊かにするため、好きな責任(ケーキ)を取ればよい。
無理に食べる必要もないし、喜んで食べる必要もない。
どんなケーキを食べたとしても最後は人間は孤独であり、寂しいかもしれないけど自由でもあることを感じてほしい
人生をよくする責任の取り方
以下の動画をみて、ストレスにもなるし人生を豊かにもする対処法のための三つの感覚を大事にしてほしい
8分43秒
把握可能感(わかるという感覚)
処理可能感(できるという感覚)
有意味感(人生に意味を感じる感覚)
なので、出された責任(ケーキ)にたいして、これは甘いなとかイチゴがのってるなとか、チーズケーキの方がよかったなという感覚を大事にして、
そして次に食べられるかな?大きすぎないかな?誰かと分けあった方がいいかな、あの人が好きだからあの人に食べてもらおうという、対処できる感覚が必要であり、対処できないならできないとして断るということが大事である。
そうすることで、周りの反応にたいして、適切に理解して、理解できなければ理解できないとして扱い、適切に処理をしていくことで、周りとの関係性を構築でき、人生がよくなっている感覚を感じられる。
※アダルトチルドレンや神経発達症を持つ人にとって周りの反応(責任)に対して、適切な距離を持って対応できるようになっていくヒントになってほしい
※責任の取り方に対するプライム認知行動療法を今後書いていく