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人を動かすものたち

人を動かすものは何なのか?

意志だろうか?
強い意志があれば何でも出きるのだろうか?

むしろそれは特殊な人ではないか?

目標達成マシーン

何かをすると決めて強い意志をもって成し遂げる、そして次に新しい目標を決めて成し遂げる

そんな機械みたいな都合のよい目標達成マシーンみたいなのはいないと思う

目標達成するまでにやる気を無くし、目標の本当の意味とはを考え始めたり、するのも嫌、見るのも嫌、逃げたい、
となるのが多くの場合のバターンだろう

目標は達成するためにあるのか?

目標の意味

目標は会社などの場合は達成されないと罰があったりする
さらには目標をあたかも自分で決めさせて、自分が決めたんだから、何としてでも達成しないと君のためにならないよ、という特殊なロジックを持ってきて、自己を責める基本が成り立つ

そして目標を達成したときに達成感はあるのか?という疑問がわく

多くの人は達成感というよりは安心感ではないだろうか?

意欲が高く、さらにいいものを作れたとか、世の中にいいものを提供できたことにたいして達成感を感じているかもしれない

でも、結局それが役に立つものになるのか地球を汚染するものになるのかはわからない

つまりは狭い視野の中で達成感を感じるかもしれないが、多くの場合は一側面だけを見たときだけ達成感がある

人を動かすためのきっかけ

目標を達成しようと思い、色々行動をするが、色々なことが気になりだして、目標に向けてどう動いていったらいいか迷う
それが通常だと思う

だったら、目標の価値は何かといえば最初の一歩を踏み出させるためのエサみたいなものだと思う

人生において、右に行くことも左に行くこともどちらが正解なんてなくて、それが正解になるようにするということができると思う

和菓子を買いに行きたくて、家を出て右に出て、和菓子屋に近づけば正解かもしれないし、遠回りだけど、車で行くなら一度左に行かない正解ではないかもしれない

でもとにかく目標に向けて一歩をどう踏み出させるかということだとも思う。

あとは途中で迷子にならないように、目標があった方が安心する

でもそれぐらいのはずで、途中で蛇が出てくるとか熊が出てくるとか落とし穴があるとかってなったら、和菓子屋に行かなくてもいいんじゃないかと思う

苦手なことや嫌なことが多すぎるとたとえ和菓子屋に着いたとしても、なんで和菓子食べたいって思ったんだろうっていう、最初の希望とかけはなれた絶望になるように思う

だったら、最初から和菓子屋でなくても甘いものであれば洋菓子屋へ行って途中でコーヒー屋もあるような道にすればよかったのではないかとさえ思う

結局ほしいものは既に自分のなかにあるはずで、外に向かって目標立てて進むけど、最後まで和菓子屋に到着することで喜びを得られるんじゃなくて、和菓子屋で得られる何かの感覚が既に自分の中にあるのだから、それをよりクリアーにするために、障害物は乗り越えるためではなくて自分のほしいものを振り返るために見つめ直すものだと思う

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miya999999999
次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。