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ここは安らかなる光輝けるあるいは黄金の世界じゃないか

NHKこころの時代 
シリーズ宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる (1)「法華経」との出会い

浄土真宗の教えで育った賢治は高校で法華経と出会い、如来寿量品を読んで「太陽昇る」とも表現された。
以後法華経は賢治の座右の書となった。

「銀河鉄道の夜」の中にでてくる紙切れに書かれていた「十ばかりの文字」とは妙法蓮華経の原語であるサンスクリット語で「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」(सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र)ではないかとの説。(世間では他にも所説ある)
法華経こそがどこへでも行ける切符だと説きます。

日蓮宗僧侶・仏教学の北川前肇氏はこう解説します。

浄土経典は少なくとも私たちがここで一旦死を迎えても、西方の仏様の慈悲によって包み込まれて、摂取されて、そこで仏の台(うてな)救いの世界にあずかります。
しかし法華経は少なくともこの世界に、ここに私は常にあって「おまえたちの貴方たちのこの時間と空間の中にあります。しかしそれは見ることはできないでしょうが貴方たちのすぐそばにあります。」というのが法華経の主張です。
そしてこの国土を離れて永遠の浄土もないよ。だから皆さんはここを穢土と見るだろうけどちょっと目線を変えてみるとここに私がいるし、ここは安らかなる光輝けるあるいは黄金の世界じゃないか、それを貴方たちしっかりと覚知しなさい。っていうのが寿量品である。
ここが汚いと見るんじゃなくて「仏さんの眼をもってこの国土を見てごらんなさい。まさに全ての生き物がこの大地、同じ大地に命を受け、そして山あり谷ありあるけれども しかしそこに生うるそういう植物たちは草は草としての、樹木は樹木としてのそれぞれの精一杯の命をまさに生きているじゃないか」というそういう価値的転換を天台哲学あるいは法華経側から教えている。
賢治さんの培われた浄土思想的なものが更に仏様の大慈大悲が一瞬たりとも絶えることなく注がれているという経文に深く感動されたんではないだろうか。

浄土思想とは違う思想になりますが、この世界は見方次第で美しいものである、仏様はこの世界にあるという思想に宮沢賢治は惹かれたのでしょう。
そういうふうに私もなりたい。

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