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#7【道具の奴隷】

突然ですがみなさん、道具に囚われてしまうことありませんか?
私は差別化を意識しすぎてなのか、無意識に染みついてしまったのか、しばしば道具に囚われ、支配されているのではないか?と感じることがあります。その状態のことを「道具の奴隷」と呼んでいます。

例えば、対戦型のゲームをしている時、「このキャラなんだからこの立ち回りをしよう。」はたまた、「この武器なんだから役割はこれだ。この立ち回りをするならあっちの武器の下位互換になってしまうから、別の立ち回りをしなきゃ!」と考えることはありませんか?
対戦型のゲームであれば、本来なら勝つために行動を決めるべきなのに、キャラや、武器によって行動を決めてしまうことないでしょうか?
これでは目的と手段が入れ替わってしまっていますよね。

性能的には正しかったとしても、その場、その瞬間で必要な行動と、選んだキャラや武器の適正とずれが生じることは多々あるはずです。
そんな時に、キャラや武器に囚われず目的を達成するための行動をとれるようになっていきたいです。

だいぶ話が逸れましたが、カメラとレンズに関しても、私は道具の奴隷になってしまうことがしばしばあります。

世の中には魅力的な機材で溢れています。
かくいう私も、カメラはスマホ、アクションカム、マイクロフォーサーズ、フルサイズ、はたまたフィルムカメラも使用し、楽しませていただいております。それに合わせてレンズも使っております。

雨の日に登山へ行った際のカメラ系機材たち


その中で、使う理由づけをしながらその日に持ち出す機材を決めています。
今日は友人とご飯を食べに行くから、テーブルの距離感でも撮れるように少し広角めにしよう。
今日は人を撮りたいから、ボケを出しやすいように中望遠の明るい単焦点にしよう。
今日はアウトドアだから、なるべく軽くて、防塵防滴の機材にしよう。
今日は暗いところでの撮影になりそうだから、少しでも高感度に有利な大きいセンサーのボディにしよう。
今日は動画を撮るかもしれないから、ズームレンズにしよう。
そんなことを考えて持ち出すと、持ち出したコンセプトの撮り方しかしてないことに気づく瞬間があります。

適材適所、得手不得手があるのは間違いないと思いますが、最近のカメラならシビアな状況でない限り基本的にはちゃんと写るはずです。

それにも関わらず持ってきたコンセプトからズレた使い方をする時に頭をよぎるのです。「これならあっちを持ってくればよかった」とか、「これを持ってきたのだからこう撮るべき」とか...

ボケを楽しむために明るい中望遠を持ってきたけど、本当に開放でとる必要ありますか?
シチュエーションによっては絞って撮ってよいはずなのに…

振り返ってみると目的と手段が入れ替わっていますね。それの道具版が「道具の奴隷」の正体だったというわけです。

私は道具の奴隷になりがちなのですが、どうすれば回避できるのでしょうか?
根本的には、目的と手段を見失わないようにすればよいはずですよね。
これが難しいのですが…
カメラに関して言えば、結局のところ「私は今この被写体でどのような表現をしたいのか」に向き合い続けることが道具の奴隷から解放される道なんでしょうね。


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