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あいがけクリスマス

12月24日のクリスマスイブは朝6時に前日セットしていたアラームで目覚めた。眠気まなこにラップトップの光を浴びせながら、赤く燃えたぎったその画面にカーソルを合わせ、どうにかこうにかクリックした。

直前までせっかくイタリアにいるのに?という考えが過ぎったけども、留学中に日本のテレビをリアルタイムで観たらバチが当たるなんてのは聞いたことがなかったし、1ヶ月以内であればお金を払うこともなく電波の契約ができるということもあって、例の漫才大会とともにクリスマスイブを過ごすことに決めた。

ありがたいことに、普段から家族のように接してくれているアパートの大家さん家族のチェーナ(夕食)に誘われていたことも、この計画を実行する上でうまく働いた。昼過ぎにはイタリアのクリスマスに戻ろう。ヘッドホンまで装備すれば、イタリアの部屋の寝床から新宿の会場の客席へ、するすると飲み込まれていった。

大会でよく注目されるのが芸歴15年のタイムリミット。今年がラストイヤーだったので、とかって悔しそうな表情をする人。でも、よくよく考えたら人生の15年を注ぐことのできる職業を見つけるってそれだけでめちゃくちゃ凄いことで。しかも人を笑わせるという仕事。勝ち負けの負けになるのはそりゃあ辛いに決まってるけど、あんたら最高にかっこいいよと思いながら、拍手を送る。

ここ数年で大会の規模はどんどん大きくなり、制作側の本気度も、ネット上での注目度もますます上がっているように思える。単純にネタで笑えるということと同時に、出場者たちが人生をかけて闘う生きざま、一人一人のヒューマンストーリーにあるということが、視聴者の心を掴んでいっている理由だろう。ネタにお腹を抱えて笑わされながらも、点数が、順位というものが与えられてしまうのがあまりにも現実的すぎて、感情がぐちゃぐちゃになる。

王者が決まるという発表のタイミングで、部屋には太陽が差し掛かった。結果が明らかになり、番組が終わりを迎えても、こちらの一日はまだ半分以上残っていて、余韻に浸りたくとも浸りきれず、変な気分がした。ちがう世界にいる気分だと思ったけど本当にそうだったからそりゃ仕方のないことだった。

キッチンに行くと、ホストマザーの息子が準備を始めていた。キリスト教では、24日は魚を食べる日、となっているそうで、部屋には大量の魚介が並び、そこにいるだけで身体に染みつきそうなくらい、海鮮の独特の匂いが充満していた。

私は言われるがままに海老の殻向きを手伝った。彼が何かイタリア語で話しかけてくれればそんなこともなかったんだろうけど、どうやら手元に集中しているようで、淡々と流れていくイタリア語のニュースキャスターの声とタコの脚がはみ出た大きな鍋がぐつぐつと沸いているのが響いているだけだった。私は見せ算について考えていた。彼から何を考えていたの?なんて聞かれたらどうしようと思ったけど、難しい数式について考えていた、とでも言おうと思って、頭の中を見せ算で埋めることにした。

オンエアを観たことでその後の夕食会に支障が出たら良くないなと心配していたが、イタリア語で話しているうちは、さっきまでのことなんて無かったように、親族のみんなの会話を聞いて大きく頷きながらワインを飲んだり、これ美味しいね!と初めて食べたヒラメのオーブン焼きの感想を一丁前に述べたりした。会うたびにしつこくオヤジジョークを言ってくる大家さんの弟に対して、その日はなぜだかいつもより優しくなれた。私の反応が良かったのを嬉しく思ったのか、彼が取り分けた私のケーキは分かりやすすぎるほど大きかった。

感情も胃袋もいつもより二倍のクリスマスイブで、贅沢感と同時に罪悪感も芽生えた。もう、こんなことは無いかもしれない、と思うとちょっとだけ寂しくなったけど、今はただ目の前にあることを楽しめばいいじゃない、と開き直り、念のためにイエスありがとう、とだけ思って目を閉じた。

翌朝、トイレのために目が覚めて廊下を歩いていると、昨日は楽しめたみたいで良かった、とホストマザーが嬉しそうに言った。うん、いい一日だったよ、ありがとう、と私は答えた。前日の疲れからか、四年に一回あるかないかの、起きたら夕方だった、という現象に見舞われた。教会で歌う子供たちの聖歌をテレビ越しに見ながら、おじさんの作ったケーキの残りを食べ、私のクリスマスはあっけなく去っていった。

切られるタコ
グリルされる前のヒラメ
ジョーク好きなおじさんのケーキ

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