見出し画像

ナポリを見たけどまだ死ねない(前編)

10月、イタリアに留学中の同世代の日本人たちと二日間のナポリ旅行へ。浮かれた気分が残っているうちに書き起こしてみた。初の旅行記。最後まで読んでもらえると嬉しい。

いざ、南へ

実を言うとイタリアの南部という南部は行ったことがなく、ローマ以下に南下したのはこれが初めてだった。

「ローマチェントラーレ」を電車が発車した時、南に行くんだ、という気持ちになって、窓の外の薄暗い街並みにちいさく別れを告げた。

ホストファミリーのイタリア人シニョーラからは「ナポリは危ないところだ」としつこいくらいに言われていたので、いつもの浮かれた旅行気分にはどうしてもなれなかった。

いつも左腕にあるはずの腕時計はベッド横のサイドテーブルに置いてきたし、いつも持ち歩いているSONYのデジタルカメラもギリギリまで悩んで、結局ビビって諦めた。

「ナポリチェントラーレ」に着いて、まずはカバンのファスナーが閉まっていることを確かめた。人の流れに飲まれながら駅を抜け、外に出た。

これがナポリ。なんだか空が大きく感じた。

午前九時のナポリは思ったよりも落ち着いていた。駅をでた瞬間に大男の集団に知らない言葉で金をせびられたり、背後からカバンをさっと持ち去られたり、そういう感じかと思っていたが、実際ちがった。

車の走りは確かに荒かったが、横断歩道でもこちらが「渡りますよ!」という意思表示(体を大きく前に出す)をすれば、ギリギリのところで、ちゃんとブレーキを踏んでくれる。バイクだって、普通に目の前の歩道を走って車を抜かしていったりするけれど、事故の起きない程度の上手い距離感ですり抜けていくんだから。思ったよりは、マシだった。

ポンペイに圧倒

この日はまず、ポンペイに行くことになっていた。電車の乗り換えがいまいち分からず、「この電車で合っているのか」というのを確認しようと車掌のお姉さんに声を掛けようとしたが、その直前でイタリア人のシニョーレが私の先に彼女に近づき、会話を始めた。

イタリア語でありながらもナポリ弁だったので、具体的なところまではわからなかったが、まあ多分そんなに重要ではなさそうな世間話とかそんなようなところだったのだろう。私は、「あのー」という感じで、車掌のお姉さんの方に顔を突き出してみたり、おじさんの方にも目線をやったりしたのだけど、「あ、どうしたんだい?」とかそういうのは一切なく、変わらず話はつづけられた。

その間にホームに止まっていた電車が一本出発し、少し後でおじさんの話もどうにか終着した。「ポンペイに行くにはどの電車に乗ったらいいですか?」やっとのことで質問権を得た私が早口で聞くと、お姉さんは「あー、ちょうどさっき出発したところだねー。次は20分後かなー」と返した。思わず地団駄を踏みかけたけど、「ま、ゆっくり行こう。時間あるし」と言ってくれる友人がいたので、大人気ないことはせずに、“ふだん聴いている音楽の話”なんかをして、電車がくるまでを過ごした。

実のところ、観光名所周遊くらいのつもりで行ったポンペイだったが、これが、予想以上に興味深かった。

西暦79年に起きた火山噴火により、火山灰で埋もれてしまった街、ポンペイ。

幸か不幸か、火山灰化してしまったことで、およそ2000年ほど前の生活をほぼそのままの形で見ることができる。

建物と建物の間は2mくらいの歩道があり、それが商店街のようにまっすぐ続いていた。横には水路のような浅い窪みがあって、ちょっと歩きづらかったりした。建物の中は実際に入ることができて、ひとつひとつの家にそれぞれ違った雰囲気の壁画や天井画が丁寧に施されていて、床には美しいタイルが描かれていたりした。

長い柱とでっかい庭園付きの住宅とかもあって、古代ローマ人だって令和人だって、家でステータスを示す思考は変わらないんだよなと思った。猛犬注意、とか、選挙の立候補ポスターとかそんなのも壁に残されていて、そこにある生活は本当に数十年前みたいで。彼らの知能と技術がこんなにも発達していたのだと、それを肌で感じられる場所だった。

ポジリポの丘から

古代ローマ人になりかけそうなくらいポンペイを堪能した後は、ナポリチェントラーレに戻り、遅めのランチを済ませることにした。

本当のところは、映画『食べて、祈って、恋をして』のロケ地であるピッツェリアで本場のナポリピッツァを食べたかったのだが、予想以上にカオスな状況だった。「列はどこですか?」という質問をしたところ、赤ちゃんを抱えたイタリア人のマンマから「あなたね、この街に列なんて存在しないわよ!(笑)」という一撃を喰らい、さらりと退陣した。

結局、街の路地裏にある、老舗ピッツァ・フリッタ(揚げピザ)のお店に行くことになった。駅からそんなに離れた場所ではないけれど、少し路地を入ると、違う年代にタイムスリップしたみたいに街の退廃を感じた。あれ、どこかでこれ見たような。昔行った大阪のとある街の記憶がそれに重なった。

店に入ると油のしめったメニューが渡され、私はちょっと興奮した。これがきっと、本番のナポリ。
似たような顔立ちをしたウェイトレス三人がいたが、何度「mi scusi(すみません)」と言っても、みんな「arrivo subito(すぐ行くね)」と言って、それから5分以上が経過した。結局彼女たちではない別のウェイトレスが先に来て、その人に注文をした。イタリアあるあるなので、日本人でありながら誰一人としてそれには動揺しなかった。

三種類の異なるピザを頼んだはずが、運ばれてきたピザたちの見た目は全部そっくり同じで、いわゆるインスタ映え要素はゼロだった。しかも、5人で3種類の楕円型のピザを分け合うというのはなかなか難易度の高いものだった。

冷め切った揚げピザを食べるくらいなら、同じ味の出来立てのピザを食べた方が良かったかな、と思ったり、いや、それでもなんだかんだいってこういうのが思い出になったりするんだ、と心の声をささやきながら、友人たちの努力によって皿に盛られた不恰好なピザたちを口に運んだ。

お腹が膨れたあとは2時間近くかけて、世界三大夜景のひとつであるポジリポの丘へ向かった。海沿いを歩きながら夕日が落ちていくのを見るのは、あまりにも美しくて、これは動画かなんかで納めるのはやめておこう、と思った。

石の上で寝転ぶカップルとか、車道でサッカーしてる少年たち、一人で釣りをするシニョーレの背中、すごい勢いで駆け抜けていくバイクの音と排気ガスの匂い。ああ、ナポリだ。ナポリにいる。空と一緒に赤く染まっていく彼らを見て、まるで映画の中に迷い込んでいるような気分だった。

どんなに歩いても歩いても地図アプリの「到着まで40分」の表示が変わらず、もう一生着かないんじゃないかと思ったりもしたが、ひたすら足を前に進めていたら、いつの間にか景色は変わっていて、私たちはちゃんと丘の上に立っていた。四角い建物たちは湾に沿うように立ち並び、街灯の白い光と車のオレンジのハザードライトが街をくっきりと浮かび上がらせていた。

(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?