大人になる
コロナ禍で二十歳を迎えた私には、世にいう「飲み会」の機会を失ったまま大学生活を過ごした。初めて飲んだお酒は年上の先輩がくれた、コンビニのジュースみたいな缶のお酒だった。
「お酒は20歳から!」の札が並ぶ冷蔵庫の前に立つのも、レジの年齢確認をお願いしますのアナウンスにもいつからか緊張しなくなって、バイト帰りの深夜のコンビニでお酒を買うのが習慣になった。
はじめていつものパステル色の缶から、黄金色の缶ビールを手に夜の街を歩いた日は自分が何か強い武器を持っているような気持ちになったのを覚えている。
ひとり分がきれいに残された鍋に火をかけ、さっき買ったばかりの缶ビールを開ける。プシュッという軽快な音が誰もいないリビングに響く。
はじめはその苦さに圧倒されるも、飲み慣れていくうちに爽やかな香りと麦芽の甘さを感じるようになる。疲れた時にはその苦味がありがたいくらいに身体に沁みて、これがビールか、と生意気な独りごとを言いたくなったりする。
頑張った日にはいつもよりちょっと値段のする、違う色の缶を買ってみたりもした。おでんを買ったり、惣菜を買ってみて、ビールに合うつまみを探すのもけっこう楽しかった。
どのシチュエーションで飲むビールが一番美味しいかもいろいろ試したりした。一番は日没前のまだ明るさのある時間帯にシャワーを浴びて、ほかほかの身体のまま脱衣所でキンキンのビールを飲む、というものだった。
親戚や、周りの大人なんかにと久しぶりに会えば、「コロナでなんもできなくて大変だよね」と言われ、ひとりで家飲みをしていると言えば「そんな大学生活は可哀想だ」と返され、怒りに近いような悲しみを覚えた。
友達のはじめての失態に居合わせたり、終電を逃すまで飲み歩いたり、先輩の人生の話を聞いて涙目になったり、そういう思い出はほとんど無いままの学生生活になったけど。私は私で、このお酒との付き合い方が好きで、楽しくて、これでよかったな、と思う。
わかりやすく数が多いことに価値が置かれ、何もかもがすごい速さで瞬時に変わり、流れていく今、もう、私はそういうのから興味がなくなってきているような気がする。当たり前とされていることや、した方がいいとされていることよりも、自分がこれがいい、と思うものを大事にしたほうがぜんぜん楽だと分かってきたから。
日没前の明るい時間、シャワーを浴びて、日の光を浴びながらビールを開ける。缶から泡が溢れ、ぐっと一口。腰に手を当てる裸の女が鏡に映る。これでいい、これがいい。誰にも左右されることのない、私だけのいい時間。
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