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「目線」のある企画って何だろう

テレビ番組のディレクターとして働き始めた頃、先輩からいただいた言葉で、頭を悩ませたものがありました。

それは「つまらない」でも「新しくない」でもなく、「目線がない」です。

目線ってなんやねん・・・
今でも独自性あふれる尖った「目線」を見つけることには苦労していますが、当時は、そもそも目線とは何なのか、何をすれば目線のある企画を出せるのか、ぜんぜん分かりませんでした。

その後、手探りで10年くらいテレビ番組やイベントを企画するうちに、なんとなくですが、「目線」の正体が見えてきたような気がしています。

たとえば、こんな二つの企画があるとします。

A「欅坂46 平手友梨奈さん 卒業SP」
B「欅坂46 平手友梨奈15歳 ~その舞こそが、心の叫び~」

なんとなくですが、Bの企画の方が目線があるように感じませんか?
AとBの間にそこはかとなく感じる、この差はいったい何なのか、ということです。(Bの引用元

目線とは「仮説」である

目線、目線と言われつづけて10年。現時点で私が考えているのは、目線とは取材を通して得た情報をもとに、取材者が立てる「仮説」ではないかということです。

世の中にはバラエティやドラマから硬派なドキュメンタリーまで、様々なコンテンツがありますが、基本的にはすべてのコンテンツに「仮説」が宿っています。

自分の「仮説」を表向きにどこまで押し出すかは作者の好みによって分かれますが、優れたコンテンツほど、大胆かつ一点突破型の強烈な仮説を持っていると思います。

ぱっと思いつく例をいくつか挙げてみると・・・

・よくあるスポーツ系ドキュメンタリーの仮説
「一流のスポーツ選手には、大事にしている彼だけのルールがある。」
・アニメ「PSYCHO-PASS」の仮説
「もし、市民一人一人の犯罪を犯す可能性が測定できてしまう世界が来たら、罪とは何か、自由意志とは何か、をめぐる戦いが起きるのではないか」
・バラエティ番組「家、ついて行ってイイですか?」の仮説
「終電を乗り過ごした人をつかまえ家についていくと、“人生”が見える。」
・ドキュメンタリー『映像の世紀』の仮説
「人類が積み上げてきた映像を丹念に見ていくと、なぜ、いま、私たちがこのような世界を生きているのか見えてくる」

などなどです。


「仮説」が方針を決める

なぜ、仮説を立てることが大事なのか。それは、仮説があって初めて「調べること」「伝えること」が決まるからです。

たとえば、「新型コロナウイルス」について私がぼんやりと感じたことを受けて、立てた仮説は次のようなことです。

●「自己責任論」が強い社会ほど、「自粛要請」を無視するのではないか。
●歴史を紐解くと「差別」の起源には伝染病があるのではないか。
●コロナ収束後「終身雇用」の人気が高まるのではないか。
●自粛中、最もホットなコンテンツは「料理」ではないか。

“仮説”なので、間違っている可能性もあります。部分的には正しいけど、部分的には間違っているものもあるでしょう。

でも仮説をたてることで、各国の「外出禁止」の指示の出し方やペナルティを横並びで調べてみようとか、日本の「穢」についての歴史を調べてみようとか、「#料理」の数の変化を調べてみようといった具体的なアクションを始めることができるようになります。

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では、より良い仮説を立てるにはどうすればよいのか。最近、そのヒントを、あるマンガからもらいました。

「とは?」を重ねる

最近、「ブルーピリオド」という漫画にどハマリしています。

身なりは不良だけど、成績は優秀。なんでもソツなくこなせるけど、打ち込めるものを見つけられなかった高校生・矢口八虎が、1枚の絵をきっかけに東京藝術大学を目指すという物語です。

3巻で八虎に対して予備校の大場先生より、「縁」をテーマに絵を描きなさいという課題が出されます。

最初、彼は縁を「糸」で表現するのですが完成した絵を見た大場先生からツッコミが入ります。

「矢口にとって 縁は糸の形をしていた?」と。

以来、主人公・八虎の自分にとっての「縁」とは何なのかという自問が始まります。その中で彼は「縁」ということばをひとつとっても、そこから連想されるものや記憶は千差万別だし、「縁」から受けた影響は、人によってまったく違うことに気づいていきます。

「とは?」を問うことは、すでに知っているつもりのことについて、「再定義」することです。そのためには、これまでの「定義」への違和感や、そこからこぼれ落ちている何かを見つめ直すという、とても個人的で情緒的な作業を必要とします。この「超個人的な作業」が独自の仮説を生み出すのに効いてくるのではないか、というのが私の仮説です。

悩んだ末に主人公・八虎が導き出した「縁」とは、もっとドロドロし傷つけあい、それでも溶け合い融合する、そんな混沌の中から新たな自分が生まれてくる・・・そんなイメージでした。

そして、矢虎が選んだモチーフは「糸」とはまったく別の”ある物質”になりました。それがどんな絵として結実したかは、ぜひご自身で確かめてみてください。

目線を見つけるもうひとつの近道

「目線」を見つけるもうひとつの近道は、自分の「仮説」をだれかにぶつけたり、質問を受けることです。

私が「目線」について考えるきっかけになったのも、就職活動に取り組む学生から質問をいただいたことがきっかけでした。

「自分の目線」はあまりにも自分に近すぎて、「何が自分のオリジナルで、何が一般的な目線なのか」見分けることが難しいように思います。

そんな時、誰かと「仮説」について議論して初めて、自分にとっての当たり前が当たり前じゃないんだということに気付いたり、自分にとっての当たり前を面白がってくれる人がいることに気付いたりします。

取材者は取材相手に質問すると同時に、相手からも問われている。そのやりとりを通じて、自分の「仮説」の精度を高めていくのかもしれません。

仮説をどんどんだして、ブラッシュアップして、最終的に「7割正しくて3割突っ込みどころがある」くらいまで磨くことができれば上々なのでは?

そんなふうに思います。

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