カメラにいざなわれて (#カメラのたのしみ方)
「写真が好きで、旅をしているんです」
そんなふうに説明しながら旅をしていると、カメラは随分と遠くまで連れて行ってくれる。
僕は(意外と)引っ込み思案で、すでにできあがったコミュニティの中に飛び込むのは得意じゃない。粗相がないようにせねばと、誰から話しかけてよいのかも分からない。
でも、カメラ片手に街を歩いていると「すてきなカメラですね」とか「日本人ですか?」みたいな会話が始まることがある。
目的地を決めず旅をするので「どこへ向かっているの?」と聞かれると困るけれども、逆に「どこへ行けばいいですか?」と質問すると、多くの人はパッと目の色が変わる。「行くべき場所」を教えてくれたり、時には連れてってくれることもある。
カメラは出会いの触媒
たまたまバスで隣に座った男性との会話がきっかけで、ある年のある夏、僕はイランのある田舎の村にいた。「お前はこの村に来た初めての外国人だ」と歓待され、街中のいろんな人に紹介される。
すると、街を歩いているだけでは見られない、色んな場所を見せてもらった。すべてはカメラがもたらしてくれた出会いである。
乾燥したイランでは、水がとにかく貴重。美しい清流を見つけると、「ビューティフル!アクス!(写真を撮れ!)」と撮ることを熱心に勧めてくれる。
イスファハーンからはるか西方にある小さな村・ホイ。この村の2010年代を記録した写真は、世界中を探してもそれほど多くないと思う。
カメラは、大事なものを明確にする。
いざ写真を取ろうとすると、「ちょっと待って!こいつも一緒に映して」と頼まれることが少なくない。背景を指定してくる人もいる。写真に写ることは日常の中の小さな「ハレ」の瞬間であり、写真を撮ることは誰かの「大事なもの」を教えてもらうことかもしれない。僕の「撮りたい」よりも、彼らの「撮ってほしい」の方がはるかに尊い、と僕は思う。
カメラは少しの勇気をくれる
シラーズという街のモスクで、光の中佇む女性がいた。その姿があまりに美しくて、どうしても写真に撮りたいと思った。撮らないと後悔する気さえした。躊躇いながらも「すごく美しいので、どうか写真にとらせて欲しい」とお願いすると「Of course, thank you」と快諾してくれた。
それをきっかけに話していると、英語を学び地元・シラーズを案内する仕事をしたいのだと教えてくれた。別れ際にもう一枚撮らせていただくと、最初の写真とは随分ちがう雰囲気に写った。
地元を愛する彼女の思いに触れるうち、この街のことが一気に好きになってくる。初めて見た瞬間のエキゾチックな彼女の姿は本当に美しいけれども、故郷について熱心に語る彼女の生き生きとした表情もまた忘れがたい力があった。
話しているうちに見せてもらえる表情がある。写真には、撮る人と撮られる人の距離感もまた、映るのかもしれない。
カメラは表現する道具か、記録する道具か
まぁ結論的には、人それぞれなんだけれども、カメラを記録する道具として使うか、表現する道具として使うかで、ほとんど「別の仕事」と言っても差し支えないくらい違う気がする。
私が仕事で駆け出しの頃、お世話になったカメラマンに高原至さんがいる。60年以上、美しい長崎の風景写真や、雲仙普賢岳噴火の災害の記録まで撮ってきた。
そんな彼を周囲の人はカメラマン・写真家と呼ぶ。しかし、彼は自分のことを「カメラマン」とは言わない。
若かった僕も「カメラマンとして何が大事だと思いますか?」と質問した覚えがある。てっきり「カメラマンたるもの、かくあるべし」という名言を期待していた僕に、彼が言ったのは「自分のことをカメラマンだとは思っていない。心が動いたものを記録しているだけ、I’m a コピーマンだよ、わはは」という言葉だった。
当時、86歳だった高原さんは、まだ精力的に長崎の街を歩き、写真を撮り続けていた。その数年後に遊びに行くと「さすがに最近歩くのが辛くなった」と言って、60年くらい撮りためてきた写真の整理をようやく始めたと言っていた。
写真は、未来への手紙
僕にはささやかな夢がある。60歳くらいまでは世界を旅して「記録」し続け、その後、プリントした写真持って、世界をもう一周したいと思っている。
写真を撮らせてくれた人達を訪ねて、写真を手渡したいのだ。
「写真」は誰のものだろうか。いわゆる写真の「著作権」が撮影した僕にあるとしても、究極的には、写真は写っている人や、その写真を必要とする人達のために存在すると思う。
高原さんは、長崎の人にとって貴重な写真を無数に撮ってきているけれども、その多くを無償で提供し、貸し出すことを惜しまなかった。
今は何気ない日常、あたりまえの景色を映した1枚でも、50年後には特別な1枚になっている可能性も十分にある。そんな想像をすると、写真は「未来への手紙」なのかもしれないと考えたりする。
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