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遠い感覚の記憶
体を動かす作業をしていると、思考が全然まとまらないことに気づいたりする。考えるのはせいぜい今日は暑いな、とか、あれを買っておいたほうがいいな、ということで、そういう思考も一瞬の後に消え去ってしまう。
脳のリソースは特に体のバランスを保つことに割かれているような気がする。転倒すると事故が免れないような足場の悪い場所を歩いているとき、足の裏の感覚や体の重心の感覚はかなり敏感になり、そういう情報を常に処理し続けているのだろう。
この感覚は、子どもの頃遊んだアスレチックの体験と似ている気がする。
大人になった今ではアスレチックも小さく感じるが、幼い子どもにとってあの遊具は一つの大きな世界である。狭い空間をくぐり抜け、細い棒を掴んでよじ登る。当時の感覚を明確な記憶として覚えているわけではないが、今体験しているこの感じを、きっと幼い頃にも感じていたのではないだろうか。
たまに「小さい頃は一体何を考えていたのだろうか?」と気になることがあるが、恐らく瞬間瞬間の小さい驚きや達成感の連続だったはずだ。それを今、20代も終わりに差し掛かって再体験しているのはちょっと不思議な感じがする。
昔々、あるところに読書ばかりしている若者がおりました。彼は自分の居場所の無さを嘆き、毎日のように家を出ては図書館に向かいます。そうして1日1日をやり過ごしているのです。 ある日、彼が座って読書している向かいに、一人の老人がやってきました。老人は彼の手にした本をチラッと見て、そのま