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引き剥がされる感覚

物理的な距離は、そのまま心理的な距離になる。
住み慣れた街が遠ざかるにつれて、「ああ、今までの日常から離れていくんだ」という感覚が膨らんでくる。自分でハンドルを握る以上、気づいたら別の場所にいたということはあり得ない(もしそんなことがあるのならば、しばらく運転しない方が身のためだろう)。
その道を選んで走っているのは自分だ。


名もなきということはない村

この一年、ずっと図書館で本を読んでいたから、少し離れた場所に行けば別の時間があることをすっかり忘れていたんだと思う。標高の高い場所は肌寒く、落葉した枯れ木の枝一本一本が朝日に照らされ輝いている。一方で南に向かえば、本当に秋なのかと思うぐらい暖かかったりする。日が暮れても上着を着ていると暑い。
移動に伴う目まぐるしい変化が一気に訪れると、どうしてもふわふわした感覚を抱いてしまう。この移動は現実なのか? ここで暮らしている人たちは本当に存在するのか?

自分の場合、そういう感覚が抜けて「新しい日常」に適応するまで一週間ぐらいは掛かる。
ただ、慣れるということは行動範囲が固定化されてくることと表裏一体だ。お気に入りの場所を見つけたり、ルーチンができたりして、次第に新しい場所を開拓したい気持ちも落ち着いてくる。多分それが「旅」から「暮らし」へと変わる瞬間なのだろう。


出発
到着


そこにブックオフがあるから。

移動中、ブックオフの近くを寄るのならば必ず入店する。ぼくにとってブックオフはJKにとってのミスドぐらいの存在だ。マクドちゃうんかい。

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基本的には日記ですが、たまに深いことを書いたり書かなかったりします。分量で著者の疲労度が測れます。

少し遠くに行ってみよう。人生が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。あるいは変わったとしても、気づかないかもしれない。だから、何か…

昔々、あるところに読書ばかりしている若者がおりました。彼は自分の居場所の無さを嘆き、毎日のように家を出ては図書館に向かいます。そうして1日1日をやり過ごしているのです。 ある日、彼が座って読書している向かいに、一人の老人がやってきました。老人は彼の手にした本をチラッと見て、そのま