【母との記録】 認知症か、はたまたパラレルワールドなのか(2)
母が病院で認知症のテストを受けてきた。
一緒に住む姉が付き添い、行ってきたという。
あまり病院に行くこともない我が家族は、病院というその箱にさえ異世界を感じていたようだ(^^)
複数の検査をし、数時間後。
アルツハイマーでしょうね
そう診断がくだった。
そしてそれから幾日か経ち、母は、
要介護1
と認定されたようだ。
介護保険制度とは介護が必要になった高齢者を社会全体で支えるしくみのこと。介護保険でいろいろなサービスを受けられるようにもなるということだが、基本的には65歳以上を対象にしたサービスのため、病気等で介護が必要な人の「介護」とはまた違うんだ……と初めて知るのだった。
うちの母の場合は、その検査でアルツハイマーの診断を受けた以外は、いたって健康な数値だった。
ほっと一安心である。
『介護保険でサービスを受けられる』ことについては、詳しくはこちらのリンクへ👇️
こちらのリンク内の一部を引用させていただくと、介護保険の適用で下記のようなサービスが受けられる。
元々母は、人とおしゃべりするのが好きなのかな、という印象。
30代のときは家事育児もあり、時間の自由がきくようにと、教育教材の営業職、訪問販売をしていたこともあり、そのときに、よりおしゃべりスキルが上達したのだと思う。人との関わりは嫌いではなさそうなので、デイサービスへの訪問は楽しみにしている。
しかし、こういうサービスも、人との関わりが苦手な人は苦痛に感じるのかなといった側面を思うと、若いときにそれなりに人と関わる生活をしていくことは大事なのかな、とも感じる。
以前に比べ、身だしなみにも注意がなくなり、というか、出来なくなっている母。
洗濯する、という行為そのものも忘れ、同じものを着ているようだ。
先日は、母の部屋を掃除していたら、かびたパンがあちこちから出てきたという。恐怖である!
何年か前から必要以上にラップを買い込んでいたこと、おととしあたりに帰省したときは、きれい好きなはずの母なのに、リビングのフローリングが明らかにぼつぼつ、ざらざらしていたこと。
これらも認知症の始まりだったのだと思う。
きっと本人も、少しずつそんな変わっていく自分と闘っていたからこそ、一緒に住む姉との衝突も増えていたんだろうな、そう想像する。
電話口では、苦労があるようには見せずに、楽しそうに話す姉。
ちゃんとやらなくちゃ、となる人も多い中、自分の時間も大切にしつつ、出来るところをやってくれているのだと理解している。
先日読んだこちらの本は、お父さんの介護を一手にやることを自分に科した筆者とお父さんとのお話だ。
読んでいて、頑張りすぎだよー、と思ったところも多かった。
認知症の家族と共に暮らしているわけでもなく、単純に姉からの情報を聞いて、こうしてつらつら書いているだけの人にはあーだ、こーだ、と言われたくはないだろう。言ってしまったが。
しかし、認知症と言ってもさまざまなんだなぁ、と。
この物語のお父さんはピック病の症状が濃く、急に人格が変わったようになってしまったという側面もある。
穏やかだったのに、すごく怒るようになってしまうとか。
母の場合は前回のnoteでも触れたが、元々怒りの感情が先に出るタイプだったので、電話で話しているだけだが、少し穏やかになったと感じられているので、ある意味ではよかったと思える。
忘れてしまってもいい。
パラレルワールドで生きているのであれば、それでいい。
だけど、たまには思い出してもほしいので1ヶ月に1度は電話をかけ、1年に1回はいままで通り帰省しよう!!
無理のない範囲で、私にできることを。