アシュタールさんに聞いた子どもに勉強させたい親心の話
今日はお店をお休みして、旦那たんとデートしていました。今までの私だったら絶対になかったこと。
休む、ということに抵抗があったのだけれど、どんどん自由になっていく。いつ死ぬかわかんないしね!
私が遊び呆けている間にメッセージをいただいていました。
内容は、過干渉と教育、躾け、について、かな?
このnoteを読んでくれていて、過干渉が良くないと学び、子どもが受験対策をしないことについて口を出したい気持ちを抑えていたようです。そしたら、先生が子どものことを真剣に叱ってくださって、子どもが受験に対して真剣に取り組み始めたみたい。
親としてどうしたら良かったんだろう、過干渉、コントロールをやめたら、 放任になってしまってないか??って悩んでいたようですが、私が返信できないでいる間に、アシュタールさんに依存しすぎだ、と自分で思い直して、息子さんと話し合ったようです。
お子さんは真剣に聞いていたって。
さてアシュタールさん、過干渉、コントロールをやめたら放任になってしまわないか、ということについてお願いします。
「こんにちは。こちらの方は今回大きく学んだようですね。自分で思い悩み、そして依存は良くないと、ご自身でお子さんにお話という選択をすること学びました。エクセレント!何も言うべきことはありません。素晴らしい。」
これで良かったんですか?
「これで良くなかったと思いますか?お子さんは先生が叱ってくれて、自分の未来に対して準備に真剣に取り組み始めたのでしょう?(もし先生ではなくあなたが叱ったら子どもは同じようにやる気になったと思いますか?)そして親子として話し合う機会も持てました。
受験に成功するかどうかより、親子として話し合いができるかどうかのほうがずっと重要だと私は思いますよ。あなた方はそう思わないのでしょうか?」
まぁ…言われてみたらそう思います。
以前、放任主義の知人がいました。素頭の良いお嬢さんがいたのに、勉強については何も言わなくて、お嬢さんの成績は最下位。気が付けば進学先を選べるような状況ではなくなっていました。
私はその話を聞いて、親としてどうしてお尻を叩かないんだろうって思ったことがあるんですよ。
「良い成績をとることがそんなに大切ですか?」
良い成績を取れれば、将来の選択肢が増えるでしょう?子どもの選択肢を残してあげるように働きかけるのが親の役目ではないですか?成績が悪かったら子どもが望む職業にもつけなくなります。
「そうですね、しかし望む職業に就くことよりも、望む職業につけない経験をするほうが良い人もいるのですよ。そのほうが学びが効果的であることもあるのです。そこから多くを学びますからね。どうか短絡的に考えず、長い長い長い目で見てください。大切なのは幸福かどうか、です。自分を表現できる人は幸福です。幸福な人生を送るためには望んだ職に就けないということが必要な場合もあるのです。」
うぬー。でも親心としてはいい職について、金銭的な苦労はして欲しくないですよ。
「とても3次元的です。もっと広い視野が必要ですね。」
ですってー。