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見た目は大人、頭脳は子供な日

 自分の経験や心の内側を明かすとき、なんだかいつも暗くじめっとしたものを書いてしまうことが多い。感傷に浸りがちなのかも。むかしのわたしはそんなに暗い人間ではないはず……。誰とでもすぐに打ち解けられて、人見知りの“ひ”の字も知らないような子供だったのに、いつからか初対面の人を警戒するようになった。これが大人になるということ……?
 最近では、会う友人や連絡を取る人を無意識に選んだりしてしまっている節もある。体力も時間も無限ではないと気がついた。そう、やっぱりこれが、大人になるということなのだろう。
 今日は、そんなちょっと寂しい大人になってしまったわたしの、記憶に新しい充実した日のことを書こうと思う。じめじめ文章から、いざ脱却。

 もうどれが桜の木だったのかわからないほどに、緑の葉をしっかりとつけた木を遠くに見ながら、人で溢れる芝生にレジャーシートを敷いて、友人とふたりでピクニックをした。
 毎年、来年こそは桜の木の下でお酒が飲みたいと思うけれど、叶わないまま桜が散り行く。年々桜とタイミングが合わなくなっていて困る。
 ピクニック自体がそもそも気分の上がるものだけれど、公園に着くまでの時間がより楽しかった。ピクニックをすると言っているのに、わたしも友人もレジャーシートを持ってこないところから始まる。お互い見合って、そうだよねー、と笑いあって、原宿の竹下通りにあるダイソーへ行き、ペラペラの青いレジャーシートを購入した。百円にも関わらず、大きくて丈夫で驚いた。

 それからわたしたちは、最大の目的としていたクレープを買いに行った。わたしの頭は前日からクレープのことでいっぱい。
 わたしは、未だにダラダラと脱毛サロンに通っているのだが(いつになったら毛はなくなるの?)、その近くにクレープ屋があって、数ヶ月に一回、目撃する度に胸が鳴りを感じていた。いつもは、横目に眺めるだけだったのに、その日は買うかどうか本当に葛藤して、明日にしようと折り合いをつけた。脱毛帰りの電車の中で、「クレープが食べたくて食べたくて」と友人にメッセージを送ると、優しい友人は「わたしも、クレープ食べたい!」と返信をくれた。

 わたしたちは、若者と観光の外国人さんとで大行列ができているクレープ屋の列に加わった。店を囲うように並ぶ食品サンプルを見ながら注文を考えた結果、しょっぱいのも、甘いのも食べたいからと、ひとりふたつずつクレープを買うことに。わたしは、クレープ界で一番好きなツナサラダと、ド定番のイチゴチョコクレープをチョイス。本当はアイスをトッピングしたかったけれど、公園に着くまでに溶けそうで諦めた。
 高校生の頃、部活終わりにクレープを食べることが多々あった。その頃は、自由に遣えるお金は少なくて、毎日寄り道なんてできなかったけど、たまにみんなで食べるクレープが最高だった。
 こんなふうに味悩んだクレープをどっちも買うなんてこと、未だかつてない(そもそも一気にふたつ食べようなんて思ったことは、今までにない)。それぞれがふたつずつクレープを抱えている姿が面白くって、笑いが止まらなかった。
 抱えていたふたつのクレープは、結構存在感あるなと思っていたけれど、公園に着いてすぐに一瞬でたいらげてしまった。甘いので締めたせいで、しょっぱいものが食べたくなった。紅茶を片手に、レジャーシートの上では居酒屋にいるのと何ら変わりない世間話をした。集合時間が遅かったり、いろいろ買ったりしているせいで、一時間ほどで暗くなってしまった。

 そのあとは、後から合流した友人も交えて終電まで酒を飲んで、これまたいつもの会がいつものように終わった。結局のところわたしたちに必要なのは、酒だった。酒なのよ。結局ね。家族のことや、今後のこと、パートナーのこと、それぞれの悩みを酒の肴にして、気づいた頃には誰かの終電の時刻が迫っていて、慌てて駅へ向かう。わたし達は「また来月!」と言って、バタバタと解散した。そうだ、来月も会うんだったと、ときめきの芽が心にぽっと生まれた。
 散々楽しくなったわたしは、独りで家に帰るのが嫌で、友人に泊まってもらった。いつまでも、心だけは子供に戻してくれる友人たちがいて、わたしは毎日救われている。今度、みんなでディズニーシーに行きたい。しっかりと、キャラクターのカチューシャを頭につけて、張り切りたいと思う。

P.S
本当は念願叶い、明日、ディズニーシーの予定があいにくの雨で変更に。そう、結局、明日も酒なのです。

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