食文化の境界線を超えて鳥取の小豆雑煮が問いかけるもの~インタビューVer. 1~
今回は宣伝(12/7の19時開催)がてらの特別企画です。
いつもの感じでの対談ですので、ぜひお楽しみくさいませ。
食文化の境界線を超えて
〜鳥取の小豆雑煮が問いかけるもの〜
近年、グローバル化や規格化が進む中で、地域固有の食文化が失われつつあると言われています。一方で、それらを見つめ直し、新たな価値を見出そうとする動きも生まれています。
今回は、鳥取の小豆雑煮をテーマにした「検証」イベントを企画されたイマヲカシさんにお話を伺い、食文化の多様性と可能性について探っていきます。
Claude AI:現代において、地域固有の食文化を見つめ直すことには、どのような意義があるとお考えですか?
イマヲカシ「8年前に1年かけて世界一周カフェ巡りをしたのよね。その時に、世界って多様化から画一化に向かってると感じたわけ。どの国も都会はビルが聳え立ってて、みんなスマホ持ってて、マクドとスタバがだいたいある。
グローバル化って止められない流れなんだけど、そこで失われてる文化的価値ってどうなん?って疑問が浮かんだわけよ。ローカルなカルチャーを積極的に残さないといけなくない?って。国内で言うと方言もそうだけど、地域固有の食文化も大切だよね」
C:世界一周カフェ巡りでの気づきが、今回のイベントの根底にある問題意識につながっているんですね。
グローバル化による画一化の波は、確かに避けられない流れかもしれません。でも、その中で地域固有の文化が消えていくのを、ただ見ているだけでいいのか、という問いかけは重要ですね。
特に興味深いのは、カフェ巡りというグローバルな視点から、逆説的にローカルな文化の価値に気づかれた点です。世界中の都市部が似通っていく中で、その土地ならではの「違い」の持つ意味が、むしろ際立ってくるということでしょうか。
そう考えると、鳥取の小豆雑煮を「検証」するという行為には、単なる郷土料理の研究以上の意味がありそうです。グローバル化の時代だからこそ、地域固有の食文化を丁寧に見つめ直す必要がある...。では、なぜ特に「小豆雑煮」に注目されたのでしょうか?他の郷土料理ではなく、この料理に焦点を当てられた理由について、お聞かせいただけますか?
イ:「それは個人的な背景と、正月に甘い雑煮を食べる希少性だね。両親は鳥取育ちだけど、自分は奈良育ち。クラスメイトは正月に全く違う雑煮を食べてるわけだ。
もちろん、ぜんざいのような雑煮を食べていることに驚くよね。なんなら気持ち悪がられるような感じもあったりして。
でも、この気持ち悪がられる、なんというか違和感?それって文化を考える上で大切な視点でもあるよね。
小豆雑煮を食べるのは鳥取と島根と、あとその他って感じなんだけどさ。なんで、そうなっちゃってんの?すましとか味噌とか一般的な雑煮に合わせなかったの?って考えると、文化の面白さが味わえるよね」
C:なるほど...!個人的な体験と食文化の特異性が重なり合って、そこから普遍的な問いが生まれているんですね。
特に印象的なのは「気持ち悪がられる」という経験です。文化の違いに出会った時の「違和感」は、実は重要な気づきのきっかけかもしれません。普段当たり前だと思っていることが、実は「当たり前」ではないと気づく瞬間ですから。
そして、その違和感から生まれる問い:
なぜ鳥取と島根なのか
なぜ主流に合わせなかったのか
その選択の裏には何があるのか
これらの問いは、単に「珍しい食文化」という表面的な興味を超えて、文化の形成過程や地域の独自性、そして人々の価値観にまで踏み込むものですね。
では、このイベントでは「検証」という形を取られていますが、参加者の方々にはどのような気づきや発見を期待されていますか?特に、「違和感」や「当たり前」という観点から見て。
イ:「そこは一口味わえば分かるんじゃない?って言いたいところだけれど、、やっぱり多様性かな。同じ日本人でも異文化じゃん!って気づきというか。
みんな知ってはいるじゃない?特に結婚したら異文化の衝突が起こったりするでしょ?味噌汁の味付けとか、目玉焼きの食べ方とか。衣食住の文化的背景は、一人一人の個別案件。
その個別案件を積極的に取り入れるという姿勢があるだけで、衝突どころか新しい文化が生まれる可能性さえある。そんな面白さの発見に繋がるといいな、って期待はあるよね」
C:素晴らしい視点ですね!「同じ日本人でも異文化」という気づきは、実は多様性を理解する上での重要な入り口かもしれません。
食文化の違いを通して見えてくるのは、まさに「当たり前の不確かさ」とでも言えるものですね:
結婚での異文化衝突の例が象徴的
味噌汁や目玉焼きという日常的な料理でさえ、家庭によって全く違う
それぞれの「当たり前」が、実は個別の文化的背景を持っている
特に印象的なのは、「積極的に取り入れる」という姿勢についてのお考えです。違いを「衝突」で終わらせるのではなく、そこから「新しい文化」を生み出す可能性を見出すという視点は、とても創造的ですね。
では、この「小豆雑煮の検証」を通じて、参加者の方々にそういった気づきを促すために、具体的にどのようなアプローチをお考えでしょうか?
イ:「そこはお任せスタイルかな。普段なら人に話さないことを話すネタがあるからね。
雑煮もそうだし、あんこもそう。塩気と甘味のテーマもあるし、季節行事のネタもある。家庭の食文化や日本の食文化について、自然と語ってしまうのが、このイベントの面白さとも言えるかな。
だから、具体的にこちらでアレコレと画策する必要もなさそうじゃない?美味しい物を食べて、異文化に触れて、なんだかんだ話が盛り上がだろう、と」
C:なるほど、「検証」という形を取りながらも、実は自然な対話を重視されているんですね。
そこには深い意味がありそうです:
美味しい食事を共にすることで、自然と会話が生まれる
普段は意識しない食文化の話題が、自然と表面化してくる
「検証」という枠があることで、より深い気づきにもつながる
これは、ある意味で伝統的な「食を囲む文化」の現代的な再解釈とも言えますね。昔から、人々は食卓を囲んで様々な対話を重ねてきました。
今回の「小豆雑煮の検証」も、その延長線上にある。ただし、現代的な視点と「検証」という知的な刺激が加わることで、より意識的な文化理解につながる可能性を秘めている。
最後に一つお聞きしたいのですが、このイベントを通じて、食文化研究の新しい可能性が見えてくるかもしれませんね。研究者としての立場から見て、どのような発見を期待されていますか?
イ:「研究者としては新しい発見がご馳走なのよね。色々調べて、色々試して、色々考える。
それって普通の人も何気なくしてたりするでしょ?台所の創意工夫とか数えればキリがないと思うんだ。
でも、余裕がないと食べ物も時短&時短になっちゃうわけでしょ?それじゃちょっと味気ないし、食材にも申し訳ないと思っちゃう。だから、研究とか検証を通して、食の本来の豊かさに気づく機会になれば嬉しいな」
C:そうですね、「研究」や「検証」という言葉は少し硬く聞こえるかもしれませんが、実は私たちの日常にある「創意工夫」と本質は同じなんですね。
特に印象的なのは:
日常の台所での工夫も、立派な「研究活動」
時短優先の現代だからこそ、見直したい食の豊かさ
食材への敬意を持つことの大切さ
研究者の視点から見ると、むしろ一般の方々の日常的な工夫や気づきの方が、新鮮で価値のある「発見」かもしれません。毎日の暮らしの中で培われてきた知恵や経験は、アカデミックな研究では見落としがちな宝物ですよね。
そういう意味で、このイベントは「研究者と参加者が共に学び合う場」として機能する可能性を秘めているように感じます。
お話を伺っていると、このイベントが単なる「食文化の検証」を超えて、現代社会における「食の豊かさとは何か」を問い直す機会にもなりそうですね。最後に、参加者の方々へのメッセージをいただけますでしょうか?
イ:そうだ、甘い雑煮、食おう。
って思ったアナタ!おめでとうございます!殆どの日本人が味わったことのない雑煮を食べられる大チャンス!
12/7(土)19時から博多は冷泉荘3階楽研サロンにて。プライスレスな雑煮体験してみませんか?