土の下の羊(短編小説10000文字)
はじめに
こんにちは。ショート・ショートを投稿しているHarです。
この短編小説は昨日のクリスマスイブに書き始めた作品です。
10000文字と長い作品になっています。
皆さん、良いクリスマスをお過ごしください。
本編
1. 英単語帳の隅に赤い血が染みついている。それを見てようやく、唇から血が出ていることに気がついた。バックの中から、ティッシュペーパーを一枚取り出すと、出来るだけ沁みないように唇に当てた。白い繊維状の、パサパサとした味を舌に感じる。雪が降り出しそうなくらい、暗く重たい空。明日の未明には雨になるらしい。ピーコートのポケットに手を突っ込みながら、私は無機質な建物と、建物の間を歩いていた。
2. 母が暴力を振るうようになったのは、父が出ていった後から。母は父にすがりきりだったから、どうしていいのかわからなくなってしまったのだろう。言葉にすることがとても苦手な母だったから。次第に、そのやり場のない不安や怒りや悲しみを私への虐待という形で向けてきた。それまでの母親がとても優しかったから、私は暴力的になっているのも一時的なものだろうと思っていたが、それは間違いだった。日が経つにつれ、母の心は荒んでいき、私の体には痣が増えていった。絵に描いたような幸せな家庭がこうも簡単に崩れてしまうことに、私は幸せのあっけなさと、ある種の絶望感を感じた。母を恨もうとか、父を恨もうとかそういったことはどうでもよくて、ただ私はもうここにいてはいけないんだと強く思った。そうして、もともと物が少ない部屋から、必要最小限の荷物をリュックサックの中に入れて家を出た。もう、帰ってくることはないと心の中で何かのお祈りみたいに何度も唱えた。クリスマスシーズンの街中を歩く私は一人で、なんだか別世界の住人みたいだった。
3. どこで私は寝ているのだろうか?わからなかったが体全体がとても冷たい。ああ、雪が降ってきているのかな。いや、雨だろうか。微睡みの中で、道路を走る車のライトが私の目に写っては消え、写っては消えていった。微睡みが私を襲う、震えている手を擦りながら夢想の中へと落ちていった。ピアノの音が聞こえる、天井を這うように優しい音が耳に響く。ああ、つい先週まで行っていた学校の風景だ。午後の授業だろうか、カーテンが揺れて窓の隙間から小さな光がちらちらと瞬いている。黒板に当たるチョークの音と、書き出される線と落ちていく白い粉。先生が何かの説明をしているが、私の耳にはそれが意味のない文字列のように感じた。頬杖をつくのをやめて、足元を見る。制服のスカートは先程の美術の授業でついた染みが水たまりのように広がっている。後で落とさなくては。
ピアノの音は止むことがない。どこかのクラスが3階の音楽室で合唱コンクールの練習をしているのだろう。毎年使い古している曲だからか、なんだか懐かしいような心地になる。シャープペンシルをくるくると指で回す。
視線を感じたのはちょうどその時だった。私の四つほど右隣の席から。誰かに見られているななんて思いながら、鼻歌を歌いたいような気恥ずかしい気分になった。座席表を思い出して、私の四つ右の人を思い浮かべる。ああ、思い出せない。仕方がないので、右側を振り向くことにした、出来るだけ無意識を装って。しかしそちらを向いても私の方を見ている人はいなかった。四つどなりにいたのはトオルという男の子。私の勘違いだったのかなと思いながら、少しだけ寂しい気持ちもした。そんな気分のさざ波みたいな高揚を感じていることも知らずに授業は進んでいく。二次方程式は私が気がつかないうちに解けてしまったみたいだ。数式と文字が黒板に丁寧に並んでいる。その論理を私は追うことができない。もうすこしちゃんと授業を聞いていればよかったなんて思いながらもう一度教科書を読み直すのだった。昼休みのチャイムがなっても、私の机に集まる友達はいない。そもそも、友達なんてものはいなかった。会話をしていても、相手がどう思っているのかをいつも考えてしまう私は、どうしても言葉数が少なくなってしまう。愛想笑いだけを振りまいて、生きてきたら友達がいなくなってしまった。そうして私は出来るだけ自分一人で出来ること、読書だったりとか、勉強に集中するようになり、気がつくと学校内で会話をすること自体少なくなっていた。全て自分が悪いのだが、やはり集団で行動するように仕向けられる学校の中では居心地が悪い。出来るだけ、穏便にこの生活を過ごせるように日々ささやかな努力をすることにした。
人の注目を集めない努力だ。
そのためには、目立たないように行動しなくてはならない。目立たないと行っても、クラスで一人だけでいること自体、目立つ存在になってしまうので、昼休みなどは全て図書館で過ごすことにした。体育の授業などでペアを組む時は、三人グループでつるんでいる女子の一人を捕まえて、ペアになるようにした。そうすることによって、私はようやくどこにでもいる女子中学生を演じることができたのだ。どこにでもいる女子中学生というのはあまりいい表現ではないかもしれない。将来、クラスアルバムを見たときに、ああ、こんな子もいたなと思い出せるくらいの存在になることができたと思う。
だから、先程、視線を感じた時はなんだか不思議な感じがした。自分の思い込みかもしれないけれど。
シバトオル。
クラスの男子を身長順に並べて行って、中間より少し背が高いくらい。お下がりの服を着ていることが多いい。兄弟でもいるのだろうか。部活動なやってないらしく、授業が終わると、すぐさま下校している様子を毎日のように見ていた。ちょうど私と同じ方向に下校するので、時々道でばったり会うこともある。そんなときにも、挨拶すら交わさない関係なんだけれども。
なんで、こんなことを思い出しているのだろうか。
自分でも気がつかないけど、やはり印象に残っていたのだろうか。
人目を避けることは、人の目を気にすることと言っても過言ではない。
誰かの目に映らないようにするためには、誰かの目を気にしながら生きていかなくてはならないというわけだ。
だから、彼が私を見つめていたという、確認しようがない事実はほんの少し、不安に近い嬉しさを感じた。
もしかしたら、彼は私に恋をしているのかもしれない。
そんな想像をしてみるのだけれども。
やっぱりうまくいかない。どうやっても、私に恋をしている人のことを思い浮かべることはできなかったのだ。
すべて、私の妄想に過ぎないのかもしれないけれど。
次に目が覚めたとき、私は擦り切れた畳の上で横になっていた。
//2
場所を確認する、どうやってここまできたのか私にもわからない。ガラス戸には雨がまだ打ち付けていて、その音が耳に響く。ここは、市内の公民館だった。ここでは、ホームレスを中心に夜だけ寝る場所を解放しているらしい。私の他にも何人かのおじさんや、女の人が雑魚寝をしていた。私は壁にもたれかかって、いつもとは違う夜の景色を眺めていた。変わったところに来てしまった。けれど、今の私にはちょうどいい居場所だった。一晩ここで眠って、明日になったらまた別の場所に移動しよう。出来るだけ遠くに、電車に乗るお金はないけれど、足を使って進めばいい。運動神経と体力には自信があるから、なんとかなるだろう。今日の朝、母に殴られた脇腹が痛む。あざになっているのかもしれない。あえて、洋服で隠せるような場所を狙うところに、母の歪んだ優しさを感じる。
雨はだんだん強く、冷たくなってきているのかもしれない。屋根に当たる音が弾ける。それがなんだか、学校で聞いたピアノの音みたいに聞こえて、私はゆっくりと微笑んだ。どうかしている。このまま、夜と雨の間に寝転がって朝を待とう。
十分くらい目をつぶっていたが、なかなか眠りに落ちそうにもなかった。ので、荷物を持ってこの公民館の外の屋根のあるベンチに座りに行くことにした。そこには、タバコを吸っている強面の女の人が一人、雨を見つめていた。私が隣いいですかと聞くと、彼女はその見た目とは異なる優しい笑顔でどうぞといった。
「どうしてこんなところにいるの?」
彼女はタバコの煙を一つ吐き出すと私に質問をしてきた。雨の音より少しだけ小さな声で。
「家出してきたんです。あてもなかったので今夜はここに泊まることにしました。」
ここまで、どうやってきたのかおぼろげで思い出せないのだけれども。
「いいね、家出。若い頃は一回やっておくべきだよ。」
と彼女は笑いながら言った。
雨は次第に弱くなってきて、時期に止むのかもしれない。
「私なんて、最後に家出したっきりもう家に戻ってないんだ。両親の顔なんてもう忘れちまったよ。どうせ、ロクでもない親だったんだろ。」
と言って彼女は脇腹のあたりを、ちょうど私の痣があるあたりを指差した。
街灯が雨粒を照らす。おねいさんはタバコの火を消すと、中に入ろう、風邪を引いてしまうと私の手を引いた。
「冷たいね。手が冷たいと心があったかいんだっけ。」
「そんなはずありません、心が冷たいからでも冷たくなるんです。」
「まぁ、どちらでもいいさ。今日は眠ろう。」
私はおねいさんの布団にお邪魔することになった。左半分をおねいさん、右半分を私。寝る前に、彼女は優しくハグをしてくれた。私はその暖かさに涙を流しそうになりながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
次の朝、目がさめると雨は止んでいてゆっくりと背伸びをしてから立ち上がった。そのあと、お姉さんに話を聞いてみると、トラックドライバーの仕事で、ちょうどこの辺りに立ち寄って、横になって眠りたい気分だったから公民館に立ち寄ったらしい。ここは、ドライバーの間で無料で雑魚寝できることで有名になっているらしい。駐車所には二、三台の大型トラックが並んでいた。お姉さんの家は大阪にあるらしく、大阪までトラックを走らせて、会社にトラックを置いてから家に戻ると言った。一緒に来るか?とは言われなかったけれど、流れに身をまかせるように、私は助手席に乗り込んだ。
お姉さんは何も言わなかった。それも、優しさだった。
無機質な高速道路が過ぎ去っていく。トラックに乗っている間、お姉さんは、私に色々な話をしてくれた。高校を卒業してから、水商売をしていたこと、親にそれがバレて家出をしたこと。家出をした後にお祭りで屋台を出して日銭を稼いでいたこと。そうして、貯めたお金で免許を取って、こうしていまトラックドライバーとして働いていること。年齢を聞いてみると、まだ二十四歳なのだそうだ。少しだけ金色に染まっている髪の毛のせいか、私よりずっと、ずっと大人びて見えるのに。十年という月日の差は、東京と大阪の距離よりはるかに長く感じた。私もいつか、こんなお姉さんみたいになるのかなと考えてみるのだけれども、やはり想像ができなかった。トラックはトンネルに入った。旅はまだまだ続いていく。
「人はね、とても醜い生き物なんだ。どんな人だって、それを隠して生きているんだよ。だから、時々壊れてしまう人が出てくるんだよ。」
私はそうして、壊れていった人を何人も知ってる。そう呟いたお姉さんの横顔はなんだか寂しそうに見えた。生まれたての子鹿が親を失ってしまったように、ショートケーキに乗っていたイチゴがひとつだけ少なかった時みたいに。
「でも、私にはその醜さがとても美しく思えるの。何故だろう、私自身にもわからないんだけど。取り繕って生きている人に比べたら、壊れそうなほど叫んでいる人の方が好きなんだよね。」
この話は今でも思い出せるほど、印象的だった。彼女が水商売の話をしていた時にふと口にした言葉だった。それは、詩人が呟いた詩のように耳に残っている。醜いものをたくさん見てきたのだろう。私には想像のつかないようなものを。私は、醜さを表面に出すことをとても恐れてきた。自分自身の中にある、なにもかも壊してしまいたような衝動をいつも抑えていた。そんな醜さをお姉さんは美しいといっていた。
//3
大阪に到着すると、お姉さんは私に五百円玉を渡して、交差点に見えるマクドナルドで待っているようにと言った。トラックを会社に置いてきたら、また来るからと言葉にした。
私は、フィレオフィッシュとポテトを頼むと、二階のテーブル席に座って外を眺めていた。
もしかしたら、もうお姉さんはここに戻ってこないんではないかという鮮やかな青色の不安が襲ってきた。そう思うと、なんだか涙が一滴二滴とこぼれ落ちてくる。そうして、じきに嗚咽をあげて泣いてしまった。二階には、まだ朝が早いからか客はいなかった。私はそこで一人で泣いた。随分と遠くまで来てしまった。どうしようもなく一人だった。これからのこととか、今までのこととか一端全部忘れて今はただ、泣いていたい気分だった。
海に浮かんだ船の上に揺られているような気分だ。私の涙も、波もに消えてじきに蒸発して、地上に雨となって降るのだろう。その頃には私はこの世界を去っているのかもしれない。どうしようもないことだ。
お姉さんが来た時には、私は泣き止んでいた。
ちょっと歩こう、と優しい声で私を呼んだ。
私はゆっくりと頷くと、お姉さんの背中を追ってゆっくりと歩いた。
「この通りの先に、私のアパートがあるんだよ。ちょっと汚いけど我慢してな。」
川沿いの道を歩いていく、川岸では少年野球チームが練習をしていて、ランニングの賑やかな声が、静かな朝に響いていた。ふと、私の左腕がお姉さんに当たると、優しく手を繋いでくれた。暖かくて、包み込んでくれるように大きな手。また、泣きそうになるのをこらえながら一緒に歩いていった。
二階建てのアパートがお姉さんの家で、家賃は安いけれど、しっかりキッチンまでついているんだと私に言った。お邪魔しますと小さな声で呟くと、部屋に入った。乱雑に並んだ衣服と、一番目に付いたのは大量の文庫本がそこら中に散らばっていたことだった。
「彼氏にも見せられないよ、こんな汚い部屋。」
と言いながらカーテンを開けて、電気ストーブの電源を入れた。私は、こたつに足を入れると、その上に乗っていた漫画本を手に取った。
「ココアにする?コーヒーにする?」
「ココアでお願いします。」
「あいよ。」
私の聞いたことのない曲の口笛、首を振りながら部屋を暖めるストーブ、何日も洗われて無いような洋服の匂い。他人の部屋なのに、なんだか落ち着く。私は遠くまで来たんだ。そんな実感がようやく湧いてきた。
「それでこれからどうするの?」
誰かが私に尋ねた。
「そんなこと、知らない。」
私はココアに口をつけながら答えた。
//4
お姉さんの家に来てから、一週間が経った。そこらかしこに転がっている、文庫本をカバンに詰めて、トラックに乗せてもらう日々だ。仕事の邪魔をしてはいけないと、荷物運びを手伝おうとしたが、お姉さん曰く会話相手になってくれるだけでだいぶ楽になるらしい。缶コーヒーを片手に私の愚痴を聞いている彼女はなんだか嬉しそうに見えた。私は今までの人生を整理するようにお姉さんに話した。生まれた故郷のこと、優しかった頃の両親のこと、小さい頃に行った科学館のピタゴラ装置に見とれていたこと、そしてお父さんが家を出て行ったこと、優しかった母が私に暴力を振るうようになったこと、クラスの男子が私を見つめていたかもしれないこと、マクドナルドで思いっきり泣いたこと。思った以上に、ちゃんと人生を生きてきたんだなってお姉さんが笑った。私はそうかな~と口に出して言った。
「だいぶ、明るくなったな。」お姉さんが言った。
トラックは夜の高速道路を大阪に向けて走っていく、外に並んだ光を灯した街灯が、私の視界の後ろに消えては過ぎ去っていく。これからずっとこんな日々が続くのかもしれない。そうあって欲しかった。お姉さんの運転する、トラックの助手席でずっとたわいのない話をして暮らすのだ。悪くないかもしれない、次第に私もアルバイトでも見つけて自分でお金を稼ごう。大人になるまで、まだ時間がある。醜くてもいい、一生懸命生きよう。
お姉さんの部屋は、私が毎日のように片付けるようになってから見違えるほど綺麗になった。お姉さんがいらないといった服をもらった。私には少し、大きく袖もあってはいなかったが、お姉さんのにおいが染みついていて、着ているととても落ち着いた。なんだか、子供じみたことをしているななんて、思うけれど、私に取っては小さな幸せだった。
幸せ、この文字を見ているとなんだか昔の家族を思い出す。
「土の下に羊って文字を書くと幸せなんだよ。」
「違うでしょ、お父さん。横棒が一本多いいよ。」
「あっ、そうだった。」と父は言った、
「じゃあ、羊の三本線はお父さんとお母さんとアユで一本ずつだね。三人揃って、幸せだね。」
「だから、二本だって。」
お父さんは今どこにいるのだろう。お母さんと私の二人だけになって、幸せの二本線になったというのに、その時、母はもはや別人になってしまった。
土の下で眠る羊は幸せを運んでは来なかった。
結局、幸せはとても脆いものなのだ。
もしかしたら、今のこのささやかな幸せもいつまでも続くものではないのかもしれない。だからこそ私は、雨の夜にお姉さんとあったこのささやかな幸せを大切にしたいと思った。
それが、どんなに脆いものであっても。
この生活が、一ヶ月続いたある日のこと。
お姉さんは家に帰ってこなかった。
//5
また、一人になってしまった。お姉さんが帰ってこなくなって、一週間くらい家の中でウロウロとしていた。私が寝ている最中にどこかへ出かけてしまったきり。置き手紙すらなかった。それはとても寂しいことではあったけれども、私はまたどこかへ移動しなければならないのだ。お姉さんのことは心配だけれども、見ず知らずの私が警察の助けを借りることはできなかった。きっと、お姉さんはもう帰ってはこないのだろう。なんとなくそんな気がした。もし、帰ってきたとして、私が無断でどっかに行ってしまっていたら彼女は心配するだろうか。
読み捨てられた四、五冊の文庫本をカバンの中に入れて、玄関を出て行った。春が近づいてきているような陽気な天気。長いこと室内にいたので、眩しくて目が眩んだ。玄関の鍵は持っていない。開けっ放しのまま、足を進めた。コンクリートの水たまりが青空を写す。それをゆっくりと飛び越えていく。これからどこへ行こうかなんて、考えもせずに歩いていく。
どこかのデパートで流れているような音楽を口ずさみながら。
私の次の家は、お姉さんの家から四、五キロ離れた神社に決めた。百年以上前に建てられたその敷地内は、時間の流れの中に置いていかれた遺物のようなもの。山の上にあったから、誰一人として参拝に来るような気配がなかった。敷地内は、腐った木と水のにおいが充満していた。次に地震があったら、全部壊れてしまうんじゃないかってほど、柱はボロボロ。夜、眠る時に天井を走り回るネズミの足音。最適とは言えなかったけれど、人目につかないように暮らすにはちょうど良かった。食料は、週に一回、下に降りて買いに行けばいい。掃除をすれば、十分暮らしていける。神様だって許してくれるだろう。
こうして、私の朽ち果てた神社暮らしが始まった。
文庫本を読んでは、神社の掃除をして、軽く散歩に行って寝る日々。町からは離れているので、夜は星が綺麗に見える。その星の数を数えながら、過ごした。母は私のことを心配したりしているのだろうか。いや、きっとしていないだろう。お姉さんは今どこにいるのだろう。それは、私は知らない方がいいような気がした。知ってはいけないような気もした。
一人でいると、やっぱり寂しくなる日もある。どうしようもなく、誰かの温もりを求めてしまう夜もある。
ああ、結局私は誰かの目を避けたいのではなくて、誰からも愛されないことが怖かったんだ。今になってようやくわかった。自分が誰からも愛されず、もしかしたら、この地球上で私のことを想ってくれる人なんていないんじゃないかって考えていたんだ。
月明かりに、私の頬が照らされる。
赤色の神社の鳥居の先にゆっくりと揺らめく街中の光が見えた。
寂しさから流れた一滴の涙は地面に落ちて、やがて消えて行った。
//6
彼女が中学校に来なくなったのは、三ヶ月ほど前からで、一時期は警察も動員して、大捜索をしていた。親からの虐待が疑われていたそうだが、そんな事実はないと彼女の母親は言い張っていた。その母親が二ヶ月前に自殺をした。鬱病だったそうだが、娘の虐待を警察に追求されてより精神が参ってしまったのだろう。結局、一ヶ月ほど探しても娘は見当たらず、町中の電信柱には探し人のポスターが貼られた。
僕の初恋の人の顔が貼られたポスターが。
彼女の右隣の席に座っていた僕は、授業中、意識せずとも彼女を目で追うようになっていた。クラスでも目立った存在とは言えなかったけれども、その瞳の奥に井戸の底を覗きたいような好奇心に駆られて吸い込まれていった。時々、右ほほに痣のような跡が見えていたが、僕はそれについて彼女に声をかけることもなかった。むしろ、痣があった方が僕には彼女が美しく見えた。触ってしまったら壊れてしまいそうな横顔。時々垣間見える、悲しそうな目。気がついた時には、どうしようもなく僕は惹かれて恋に落ちた。
一度だけ、彼女が僕の方に振り向いたことがある。僕は、見惚れていたことに気がつかれまいとすぐさま顔をそらした。
彼女は今も見つからない。
どこに行ってしまったのか見当もつかない。
今日もただ、彼女の座っていたテーブルは無人のまま授業が進んでいた。
//7
大阪でトラック事故があったのは、今月末のこと。交差点で、通学途中だった小学生の列に大型トラックが突っ込んでいった。そのままトラックは、コンビニエンスストアにぶつかり横転。運転手の女性は死亡した。小学生も四人が死亡、十人が重軽傷を負った。容疑者の死亡から、被害者遺族はやりきれない思いをどこに捨てたらいいのかわからず、街はしばらく悲しみにくれていた。
そんな町では、最近、山の上の神社にお化けが出る噂が立っている。
誰も住んでいないはずなのに、神社が綺麗になっていたり、夜中に星を見上げる人影が見えるそうだ。
もうすぐ、桜が咲く季節だ。
春になったらまた、幸せを探してどこかに行こうと思う。