タバコと栞
雨が降っている。止みそうにもない霧雨が、冬の重い空とともに落ちてきている。暖房のかかっている図書館の中でも、外の張り詰めた空気を想像することができる。頬を張られたように、指の先が千切れてしまいそうなくらい冷たい空気を。私は文庫本に目を戻す。先程から読み始めたものだ。しかしながら、そこに書いてある文字は私に何も語りかけてこなかった。ただ、意味のない記号の羅列として、読み流していた。ちょうど、ファミレスにかかっているBGMのように。文字は私の意識の隅の方で細く流れていくだけだった。
私は君に救われたのに、君は私のことすら知りもしない。
私の人生では、君はヒーローなのに、君の人生では私は脇役。いや、日常を埋める風景でしかないのかもしれない。こういった言葉を何度も耳にするたび、その通りだと頷いてきた。私の視界の先には、いつでも君がいるのに、君の視界の先に私が映ることはない。けれども、私はそれでいいと思っていた。脇役でいい、風景の隅でいい。想っていられるだけで幸せな気持ちになれるから。そもそも、愛情は一方的なのものなのだ。自分の意思で与えることができても、貰うことはできない。うまく世界を作ったななんて神様を恨みたくなるほどだ。
絶望的な状況に置かれるほど、ほんの少しの優しさだけで心が救われることがある。私の場合は君の挨拶だった。教室の隅に座っている、私に朝、一言おはようと声をかけてくれる。私は、その瞬間が1日の中で一番好きな瞬間だった。君にとっては、些細な挨拶なのかもしれないけれどその一言だけで私は生きていけた。学校にいる間、人と言葉を交わすのはその一回きり。あとは、窓の外を眺めてひたすら時間が過ぎ去っていく模様を観察していた。
スカートの裾を叩いて、赤い口紅のような栞を文庫本の間に挟んだ。
タバコを吸いに行こう。誰にも見つからない場所で。