ピアノの散歩、パン屋の前。
「知ってた?ピアノって歩くんだよ。」
「ピアノ?あの楽器のピアノかい?」
「そうよ、それ以外に何があるの。」
「でも、ピアノは歩かないじゃないか。」
「つまらない人ね、それだから面白くないのよ。ピアノは歩くの。あなたが知らないだけ。」
「そうか、じゃあ仮にピアノが歩くとしよう。どこに向かって歩くんだい。」
「パン屋さん。駅前のパン屋さんよ。」
私は駅前のパン屋さんを想像した、二階建てのアパートを改造して一階部分がパン屋さんになっている様子を。そのドアを開けて、ピアノが入っていく様子を。
「パン屋さんにいって何をするんだい?」
「ほんとうに、トンチンカンな人ね。今までどうやって生きてきたの?」
彼女は、呆れたように、カラスが空から人を見下すように私を見つめた。
「パン屋さんに行ったらパンを買うに決まっているでしょう。ほかに何があるって言うのよ、パン屋さんにいってビリヤードでもやるつもりだったの?」
私は沈黙する。
「まぁ、いいわ。それでピアノはパンを買って帰るの。」
彼女は私のすぐ目の前で一回転した、スカートが美しく円を描きながら少し宙に浮いた。お天道様が私たちを見つめる。それを見返す体力は私にはない。彼女の会話についていくことで必死だ。
「けれどね、できたてのパンだからビニール袋に入れていても美味しい匂いがするの。ピアノは歩きながら、こう考えるのよ。」
一つくらい食べても大丈夫。誰も文句を言うはずがない、だってこれは僕のパンだもの。
彼女は話を続ける、私が欠伸をすると彼女は不思議そうな顔をして私をみた。まるで、欠伸をしている人間を初めてみたと言うふうに。
「それで、ピアノはパンを食べ始めるの。」
「ピアノはどうやってパンを食べるの?口がないじゃないじゃないか。」
「まったく、ゼロから十まで説明しなくてはならないのね。最近のギムキョウイクは何を教えてるのかしら。ピアノは鍵盤の下に口を持ってるのよ。まったく。」
まったく。もう一つまったく。
私は沈黙する。
「それで、ピアノはパンを食べるの。メロディーを奏でながら。」
道を歩いている時に、ふとピアノのメロディーが聞こえるでしょう。
あれは、ピアノがパンを食べてる音なのよ。
それきり、アパートに着くまで彼女はご機嫌だった。
昼ごはんは何にしようかなんて考えながら私はゆっくりと歩いていった。
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