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学校に行かないことが「正解」だった

どうもどうも。
すっかり秋の気配すら漂ってきた今日この頃。皆さんいかがお過ごしでしょうか。ほんとに夏終わるん?ほんとにほんと?(でも秋雨と台風は嫌いなので今年は前線もろとも太平洋上で消滅してほしい)

さて、秋の気配が漂ってくるということは、そう。いよいよ夏休みも終わりの日が近づいてきました。いや、地域によっては、もう新学期が始まっている場所もあるでしょう。

これが憂鬱でない、少年・少女はおそらく、いない。たぶん。
比較的、学校が好きな、友達と会えることを楽しみにしているようなお子さんであったとしても、何となく気が重いなーってな気分になるのが、まあふつう。お盆休み明けに出社するのがイヤなのと一緒。

まして、学校が「嫌い」。
あるいは、「居心地が何となく悪い」と感じている子どもたちにとっては、死刑執行の行われる日を待つ囚人のごとき気分にちがいない。いや、ほんと大袈裟でなく、そんな気分なんですよ、場合によっては。

よくこの時期になると、「夏休み明けのSOSを見逃さないで」等々といった文言がネットその他に散見されるようになりますが、これも別段「煽っている」わけじゃありません。
宿題の自由研究がなぜだか全然手につかない。
何だか妙に不機嫌で話しかけても生返事。
頭痛や腹痛を訴えるけれども医者に行ったら健康体。

そりゃ、そうです。
1学期の間、ヘトヘトになりながら通学していたような子どもにとって、「休み」が終わる足音が聞こえてくるのは、もうほんとに辛い!
関係ありませんが、僕は昔、日曜にやってる「サザエさん」が大嫌いでした。それは当番組が「日曜という休み」が終わるチャイムのように感じていたからです。
まして長い夏休みの終わりを告げる足音というのは、まさしく地球滅亡のカウントダウン同然です。

一方で。
「2学期が始まったら、学校行ってみるよ」
「いや、俺はちょっとサボりたくなっただけ。もうしっかり休んだから、夏休みが終わったら、ちょっと学校がんばってみる」
既に1学期の段階から、学校を休みがちになっていたり、あるいは通わなくなっていたりする子どもが夏休み序盤でこんなことを言っていたら。
場合によっては、保護者の皆さんは「ああ、そうかもしれない。夏休みが終わったら、この子は以前のように学校に通うようになるかも」といった期待を抱かれるかもしれません。

が、この時期。夏休みの終わり。
その「期待」が子どもたちには重くのしかかる。
いや、そもそも上記のような「自分の言葉」自体がひどいプレッシャーになる。

彼・彼女は嘘を言ったわけではないんです。ただ、単にホッとしただけ。
皆が等しく学校なんかに通わなくなる「休み」が始まり、それ以前の「学校に行かねば」というプレッシャーがなくなったことから生まれた言葉なのです。
そうだ。俺はちょっとサボってただけ。
みんなと変わらない。休みが終わったら、きっと学校に行ける「はず」だ。
自分自身でも、そんなふうに考えた、正直な気持ちだった。

だからこそ、苦しい。
結果として、「嘘」になってしまうかもしれないことが、怖い。
自分で言った言葉だから。自分の本当の気持ちだったから。
学校に行かねばならない。
もし、それが「嘘」になってしまったなら。
母さんや父さんは、またどんなに心配しガッカリした顔をするだろう。。。。


一部の子どもたちは、まさしく今、そんな苦しみ、悩み、葛藤のまっただなかにいます。

もし、そんな苦しみを、お子さんが抱えていると思ったならば。
その際は、「無理して学校なんか行かんでもええんやで」という雰囲気を、ご家庭の中で作ってあげてください。
直接、言葉をかける必要はないかもしれません。
場合によっては、学校の話題すら出さない方が良いかもしれない。
しかし、どちらにせよ。
「学校なんか、行っても行かんでも、マジでどっちでも良い」って態度を親がまとう。言外に伝える。夫婦の、家族の会話の端々に、そうしたニュアンスを響かせる。
それだけでも子どもたちは楽になれるはずです。

それは判っている。だが、口でいうのは簡単だけれど、なかなか実行できない。
親としては、どうしても子どもが心配で、それを口にしてしまう。態度に表してしまう。
そんなふうに思われるかもしれません。
しかし、そもそも何が心配なのでしょうか?

学校に行かないと、自分の子どもが「落ちこぼれる」?
何から落ちこぼれるのでしょう?
勉強が心配なのでしょうか?
社会に適応できなくなると?
世間一般の「ふつう」じゃなくなるから?

現在、実に中学生の7人〜8人に一人は、いわゆる「不登校」と呼ばれる状態にあるとの調査もあります。
昔とちがい、「不登校」はもはや珍しいものではありません。良くも悪くも、「ふつう」のことです。
また、学校に通わずとも、勉強をする場所はたくさんあります。
もっと広い、人間関係やその他の体験を含む「学び」を深める場所も、十分な数ではないにしても、特に都会では相応に存在します。僕が運営するヒルネットも、そうした「居場所」「学び場」の一つになれれればと思い活動しています。

そういう現状は判っている。それでもなお、唯一人の「この自分の子」についての心配は消えない。
当然かもしれません。それを簡単に無くすことはできない。

ですが、「自分の子」ではないけれど、実際、「不登校」だったお子さんが、今、元気に過ごしている現状を知ったら?
それは所詮「他人の子」、まれなケースと思われるかもしれません。
でも、ちょっとだけ心が軽くなるかも。
そんなことを願いつつ、僕の知ってるケースを紹介しましょう。

S君は中学2年生。都内の進学校と言われる私立中学に通っていました。
きっかけは些細なこと。というか、周りから見れば、些細に見えたこと。
ちょっとした人間関係のトラブル。
ですが、本人にとっては結果的に、「些細なこと」ではなかった。
段々と学校に行くのが億劫になる。朝が起きられない。
夜になれば、明日は学校に行こうと思うのだけれど、翌日になると、どうしても家から出たくなくなる。

さあ、もちろん周囲は心配します。本人だって心配です。
「不登校」。
そんな「烙印」を押されたくない。「ふつう」がいい。そもそも自分が行きたくて入った中学じゃないか。

数年間、本人はもちろん、保護者の方も悩み苦しみ七転八倒。

しかし。やがて、少しずつ本人の中にエネルギーが満ちていきます。
「学校」はもう無理。じゃあ、どうしようか。
S君はまず、自転車で旅をしました。目的は? 別にない。行き先は? その辺りを、ぶらぶら。
ぶらぶらしたついでに、日本全国をほぼ一周しました。

そして帰ってきてから。
ゆっくり。徐々に。しかし、やがて猛然と。
S君は「勉強」を開始しました。それまでは参考書なんて1ページも開いたことはありません。数年間、ずっと。

しかし、鬱屈していた何かを吐き出すように、S君は勉強を続けました。
そんな感じで、高卒認定試験は楽々パス。
次、大学受験。
こちらは、やや苦労したものの、それでも今では、東京の有名と言って良い私大に通っています。
すっかり学問好きとなった彼は、自分の興味の赴くままに、今も猛然と「勉強」してます。


さて、もう一人。M君。
公立中学に通っていた一年の終わり。同級生からちょっとしたイジメにあった彼。
それがきっかけで、やはり学校に行けなくなります。

そこからは、ほとんど家にこもってスマホにゲーム三昧の日々。
そりゃあ、お父さんお母さんは心配します。当たり前ですよね。
うちの子はゲーム依存症じゃないのか?
このまま家から出ないまま成人してしまったら、どうしよう。。。
そんな不安を抱えながら、それでもご両親は静かに息子を見守ることにしました。

当人はどうかというと、実はこちらだって心配してるんです。
ほんとはちゃんと学校行くべきなのでは?
勉強だって、このままだとどんどん遅れていってしまう。
でも、机に向かえない。そのエネルギーがない。勉強することで、あの嫌な嫌な学校のでの嫌な嫌な出来事がフラッシュバックしてしまう。。。。
なので、どうしてもスマホを見てしまう。ゲームの中で全てを忘れたくなる。
そんな、なかなかのしんどい日々。

が、それでも明けない夜はない。いずれは嵐も過ぎ去るもの。

やがて、少しずつ人生を前向きに捉え始めたM君。勉強も数学だけでも、という感じでちょっとずつ始めます。
そして、高校。
自分にあった、自分のペースで勉強を進められる、かなり自由度の高い一条校を探し出す。
受験するため、勉強のピッチを上げる。けっこう緊張しながら試験を受ける。面接もあったそうですが、これも何とかクリア。
結果。見事、合格しました。今では、その学校に、友達もできて、けっこう楽しそうに通っています。

もちろん、M君の悩みは完全に晴れたわけではない。ゲームだってそこそこやる。
だけど、一方で友達と遊びに行ったり、自分なりの趣味を見出し、そのための小旅行に一人で出かけたり。
今後の長い人生で、たとえまた落ち込むようなことがあったとしても、そこから回復できる自分の力を信じられるようになったはずです。


これらは皆、個人レッスンで知り合ったり、親御さんから個人的に相談を受けて知った子どもたちの例です。
二人の例ですが、実は何人かの話を混ぜて「二人」の人間にしています。
つまり、上の「二人」の背後に、同じように大学に進学したり、高校に進学したりしている例がたくさんあるということです。

そして、手前味噌ながら、ヒルネットに通ってくれている、みんな。
特に小学校の時分から、もう4年も通ってくれている年長のメンバーたち。
彼らは、もう何も心配がない。
ってことは、まあ親御さん的にはないでしょうが、それでも僕から見ると、本当に「人間」として成長してる。

自分達だけで遊び含め色々なことを計画し、実行できる。
自分より年少のメンバーたちの世話をしてくれる。
自分自身で進路を考え、その先にある人生を考える。

昔は少し頼りなげだった彼・彼女らが、今ではすっかり「大人」です。
実際、「ふつうの中学」に通っている中学生たちより、大人に見えるし、しっかりしている。
なんて言うと、褒めすぎかな。
でも、本当に成長した。
だから、普段から接している僕からすると、そんな彼・彼女らにとっては、「学校に行かないことが〈正解〉だった」と思えるのです。
いや、ほんとに。心の底から。



さて、話を戻すと。
これらは確かに「他人の子」の話。
たった一人の「自分の子」の話じゃない。
でも、その「自分の子」だって、同じように悩み、苦しみつつも、やがて自分だけの道を見つけられるようになるかもしれない。

「学校に行かないことが〈正解〉」
今はまだ、そんなふうには考えられないかもしれない。
でも、いつかは心の底から、そう思える日が来るかもしれない。
だから、せめて。
今は子どもたちが「学校」のプレッシャーをなるべく感じずに済む雰囲気を作ってあげてほしい。「無理して学校なんか行かんでもええんや」という気持ちにさせてあげてほしい。
夏休みが終わり、新学期が始まる「カウントダウン」が鳴り響いている、今だけでも。

それでは、それでは。

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