令和に輝いた昭和の星・岡田彰布という男 ~岡田監督ありがとう~
ついに幕を閉じた。2024年阪神タイガースのシーズンが。そして、岡田阪神の2年間が。
前回の記事⬇は岡田監督が我が家に起こした“奇跡”が主眼で、岡田監督については語りきれなかった。(たくさんの方に読んでいただき、noteのカテゴリ内人気記事にも表示されました。心からお礼申し上げます!)
今回は“岡田彰布という人物”がなぜ人々を、そして私を惹きつけてきたのかについて書いてみたい。賛否両論あった采配については有識者の方々が議論されていると思うので割愛し、その一筋縄では語れない人間性や「岡田語録」の奥深さに迫ってみたい。岡田監督大好きな方はもちろん、そうではなかった人、「どんな人かよくわからない」という人にも読んでもらえたらとてもうれしい。
(※文中、敬称略)
プライドは高く、懐は深い。
そら、最も成功した阪神ファンよ。プライドあって当然よ
岡田彰布は、プライドが高い。2004年度監督就任時の「期待してもらって結構です」、2023年度監督就任時の「シーズン終わる頃には楽しみにしていただけるのでは」といった発言からも伝わるとおり、自身の野球理論や采配に絶対的な自信を持っている。そらそうよ、と言うしかない。なぜならこの輝かしい経歴である。
かの大谷翔平はすごすぎてよく「漫画みたいな人生」とわれるが、岡田彰布の人生だって生まれながらの阪神ファンの人生としてよくでき過ぎた漫画のように完璧だ。この経歴と経験に早稲田大学一般入試合格(当時はスポーツ推薦がなく、勉強で入試合格)、将棋のアマ三段、周囲も驚く記憶力という頭脳が加われば、そりゃあ自信家になってもおかしくはない。
いやいや、みんなが和むならエエよ
だが、ただプライドが高く近寄りがたい人物かといえばそうではない。親しみのある風貌、阪神得点時や勝利時に見せる白い歯で笑うとびきりの笑顔は「守りたい、この笑顔」、「岡田監督かわいい」と多くのファンから愛されてきた。2023年のCS会見ではモニター越しに新井監督と三浦監督に交互にパンチを繰り出すなど茶目っ気も”たまに”見せるから余計におもしろい。ひとたびグラウンド内に降り立てば、選手の誰よりもファンに目をやり手を振っている姿も多く見られた。
「どんでん」という愛称(CM出演時のセリフから)もどこか親しみを感じさせ、ファンからは「どん様」、「どんちゃま」などとアレンジされ呼ばれることもある。また、「おーん」、「そらそうよ」に代表される「岡田語録(通称:どんコメ、どん語)」はスポーツ紙に一言一句たがわず掲載され、NHKのテロップにまで「おーん」と表示されたときにはファンの間でもちょっとした話題になった。そして特筆すべきは、これらの一見“イジられている”とも見える現象を岡田は「別にエエわ。それで和むなら」と受け入れていることである。
※引用:週刊ベースボール「岡田彰布のそらそうよ」(上述発言は有料記事部分に掲載。ご本人執筆の味わい深い原稿なので気になる方はぜひ)
御年66歳の誇り高き虎のレジェンド。「このオレのことをばかにしとんのか」とイラッときてもおかしくはないところを、みんなが望むなら「まあエエわ」と言えるのは岡田ならではの懐の深さをあらわしていると思う。そのおかげで岡田語録グッズは売れて球団を潤し、スポーツ紙もそのまま語録をネット記事に掲載するだけでアクセス数を稼げ、TV局は視聴率を稼げた。そして、ファンは喜んだ。まさに岡田の懐の深さがみんなを幸せにしたのである。
”はっきり言うて”るが、含みもある岡田語録
予定調和じゃないからこそ価値のある発言
岡田の発言の特徴と言えば、本人の代表的な語録「はっきり言うて」の通り忖度しない物言いにある。試合後の勝利インタビューではインタビュアーが「こういうことを言ってほしい」と想定して投げかけたであろう質問にも、忖度せず思ったことははっきり言う。例えばインタビュアーが「○○選手のタイムリーはいかがでしたか」と問うと普通の監督なら「いい場面で打ってくれました」など無難な答えが想定できるところを岡田監督は「おん、もっと前のチャンスで打ってたらもっと楽やったけどなぁ」と予想を裏切る回答をする。選手のファンからは「なんで素直に褒めないんだ!」と憤慨する声も聞こえてくるが、次に何を言うかわからないワクワク感や率直な発言ゆえのヒヤヒヤ感があるから、どうしてもその声に耳を傾けたくなってしまうことは事実だ。
謎多き迷言も
そして“はっきり言うて”くれるばかりではないところも岡田語録に惹きつけられる理由である。例えば、桐敷拓馬投手を評した「スペードのエース」。トランプの中で最強のカードという意味の桐敷への最大級の賛辞だが、聞いてすぐにわかった人の方が少ないのではないのだろうか。
その他にも、
このような、いまだに解明できていないものも含む数々の語録を生み出している。そのたびにファンは「どういう意味!?」とときには困惑し、ときには考察して楽しんできたのだ。(上記翻訳できた方、コメントやXで教えてください)
前政権時代(2004~2008年)は、
といった記者による()の補完の挿入も多く解読の助けになったのだが、最近は手が加えられていないオリジナル文が記事にあがることがほとんどで、謎は謎のまま放置されることが多い。アクセス数を稼ぐために他紙よりいち早く記事を仕上げようとして加筆を省いているのか、どん語の翻訳者がマスコミ内で減ってしまったせいなのかはわからないが、消化不良感は否めない。が、やっぱり見てしまう。
岡田彰布が昭和世代に愛される理由
甲子園球場などで岡田ユニフォームを着ているのは私を含め中年以降のファンが圧倒的に多く、昭和世代の支持が大きいように思う。それは、岡田の「阪神タイガースそのもの」の人生をリアルタイムで見てきた人が多いから、暗黒時代を知る古くからのファンには二度の優勝、38年ぶりの日本一に導いてくれた岡田は特別だから……などさまざまな理由があるだろう。それに加え、昭和世代にとっては岡田流のコミュニケーションにシンパシーを抱く人が多いからではないだろうか。
「信じたい」「気づいてほしい」が届かないことも多かった
岡田は前述のとおり裏表のない発言が多い。しかし決して口数が多いわけではなく、選手を直接指導することも少ない。「誰が贔屓されているといった選手間の嫉妬を生まないため」というのは本人談だが、それ以上に「プロなんやから」と選手自身の力を信じたい、コーチの指導を信じたい、とする気持ちがあるからだと私には映った。マスコミを通じた選手やコーチへの苦言は岡田なりのヒントの表出。岡田が主力になってほしいと考えている選手にこそ苦言を呈することが多く、気づきを得てほしい、奮起してほしいと願っている相手に対して発言していたように思う。だが、それが「感情的に特定の選手だけを批判しているだけ」と捉えられてしまったり真意が届かなかったりと、今シーズンは特にうまくいかないことも多かったように見えた。だが普段こうだからこそ、「ほとんど話したことはないけれど、監督から掛けれた”あのひと言”は心に残っている」と多くの選手が口にするように、たまに選手にかける言葉が金言のように響くこともあったはずだ。
言葉より行動。その「情」に昭和世代はぐっと来た
また、言葉よりも行動にメッセージが含まれていることも多かった。前日に打ち崩された中継ぎ投手を「自分で悪い記憶を払拭して来い」とばかりに翌日にも登板させる。マスコミを通じて特定の野手を痛烈に批判した翌日も同じ野手を起用し奮起を促す。多少調子が悪くても実績と経験のある選手を信じて送り込む。相手チームの危険なプレーによって自チームの選手が危険にさらされたとき、理不尽な判定が繰り返されたとき、選手を守るために先頭を切って本気で怒る。ここぞというときの選手の活躍にベンチの中の誰よりも喜ぶ。そういう情に厚い行動こそ実は岡田イズムだったと思う。
こういった岡田流コミュニケーションや温情采配が今シーズンは選手やファンに通じなかったり支持されなかった場面も多かった気がする。その姿が、自身も同じような経験を組織や現代社会の中で一度や二度は経験したことがあるであろう昭和世代のファンにはもどかしくも映り、共感する部分でもあったのではないだろうか。
岡田監督の栄光よ、永遠に
損得勘定をしないからこそ、ときには周囲や時代との摩擦を生む正直すぎる言動、頑固に見えることもある采配、ひけらかさないが確かにある人情味……。そんな昭和の要素を多分に持つ岡田が監督から退任することは、なんだかプロ野球においてもひとつの時代が終わりを告げているような気がして、少し寂しくなる。
とはいえ、この令和の時代に昭和ど真ん中世代の岡田が残した功績は輝かしく、あまりにも大きい。「阪神の岡田監督」は、どんなに時代が移り変わろうとも、阪神タイガースの歴史に、そして私たちファンの心に深く刻まれ続けるだろう。岡田監督、ありがとう!そして、本当にお疲れさまでした。