第15話 幼稚園の記憶
幼稚園より前の記憶はない。幼稚園も年長の記憶しかないから、私の記憶は5歳が一番古い。
第2次ベビーブームで、幼稚園も組数が多かったし、バスがたりないから、小学校よりも遠いのに歩きだった。急な坂道を毎日通った。中学になってもその坂道は通うのに大変だったのに、よく幼稚園児の私は通ったと思う。
幼稚園にプールがあったのかは忘れたが、スイミングスクールには通ってた。けど、すぐにやめたはずだ。
泳ぎのうまかったSちゃんは偉そうだった。その頃はスイミングスクールに通ってた子が多かったから、泳ぎのうまい子がマウントとってる感じだった。
ロッカーの高さはどれくらいだったんだろう、1メートルくらいはあっただろうか、休み時間、そこに、スイミングスクールで級が下の子たちが登って並ばせられた。私も並ばせられた。
すると、Sちゃんが「よ〜い、はい!」とか言って飛び込ませる。ロッカーの上から床にダイブだ。そして、床が滑るから、スーっと進む。
Sちゃんは水泳の先生役だから、もちろんやらない。そして、何回も何回もやらせる。
楽しくてやってたわけではない。思い出しても腹が立つ。幼稚園の時点でマウントとってたような女はその後どうなったんだろう。
もうひとり忘れられないのが、Oちゃんだ。活発な子で、ブランコに乗りに行こうってよく誘われた。その頃、ブランコは大人気だった。早く行かないと乗れなかった。
卒園が近くなった頃、アルバムの表紙作りをした。自分で描いた絵と名前がアルバムの表紙になるのだ。
休み時間になっても私がそれを描いてると、Oちゃんが、ブランコに早く行こうと、「私が描いてあげる」と、勝手に私の名前を書いた。
出来上がったそれは、名前が逆だった。左から書くところを、右から書いたのだ。
ムカついた。
もう何十年も見てないが、その表紙は思い出す。
その後、Oちゃんとは別の小学校に行ったが、中学校でまた一緒になった。Oちゃんは私のことは覚えてなかったし、中途半端に調子に乗ってるOちゃんと仲良くする気はなかった。
第6話で書いた、私を陥れようとして、その後ひどい目に遭わされたという女がそのOちゃんだ。
幼稚園の思い出で、先生にものすごく怒られたことがある。お弁当の時だ。寒くなるとアルミのお弁当箱をストーブの上で温めた。その時、先生に確認したいことがあって、私は先生に「ちょっと」って言ってしまったのだ。
めちゃくちゃ怒られた。「先生に『ちょっと』とはなんですか」と。けど、仕方ない。先生の言ってることは間違ってないし、怒られても素直に反省した。やってしまったな〜と、いまだに思い出す。温められた弁当のにおいと一緒に思い出す。
幼稚園の時に最大にショックだった出来事は、クリスマス会だ。キリスト系の幼稚園だったから、クリスマスには必ずキリスト誕生の劇をやった。
幼稚園にありがちな、マリア様は何人もいた。姉も、いとこのねーちゃんもマリア様をやっていた。だから私もマリア様をやりたかった。
けど、私は町の貧乏な家の奧さん役だった。それも「うちは貧乏なので泊めることはできません」みたいなセリフで断る役だった。
姉やいとこは、白い服着て白いベール被って可愛い写真が残ってたのに、私はボロい服着てちっとも可愛くなかった。その後、その写真を見ることはなかったし、嫌いすぎて捨てたのかもしれない。
幼稚園の行事は嫌いだった。早く大人になりたかった。