第13話 アダルトチルドレン
前回、父が鬱だったと書いたが、それに関して、自分はその事をいつから気付いてたのかはわからない。
ただ、母親に言われるままに、父のご機嫌とりをして、そうやって生活してるうちに、周りの空気を読むようになっていったと思う。
小さい頃から姉とは仲が良い方ではなかったが、私が両親のご機嫌とりばかりして、それが可愛がられてるようにも見えたし、姉は面白くなかったんだろうと思ってた。
決定的に話をしてくれなくなったのは、私が小4の時だった。姉には部屋があったが、私にはなかった。自分の部屋があることが羨ましくて、姉が留守中に部屋に入ったことがあった。そこで私は手紙を読んでしまった。
誰々ちゃんが『今度遊びに行くね』みたいな内容だった。
どうでも良い内容だ。
正確には、私にとってはどうでもいい内容だったが、姉にしたら、勝手に部屋に入られたこと、手紙を読まれたことは許せなかったのだろう。
姉が母に、今度誰々ちゃんが遊びにくると話してた時に、私はうっかり知ってる事を言ってしまって、手紙を読んだことがバレてしまったのだ。
「あんたのそういうところが大嫌いなんだって!」
そう怒鳴って姉は部屋のドアをバシっと閉めて、一週間出てこなかった。
部屋の前で私は何度も何度も謝った。
けど、その後部屋から出てきても、私とは喋ってくれなくなった。
その頃、じいちゃんばあちゃんは二部屋使って生活してて、私たち四人は、六畳の寝る部屋(姉は自分の部屋)と、四畳半のみんなが集まる部屋だけだった。狭い四畳半の部屋で、私の定位置はテレビの前だった。
その頃はまだテレビリモコンがなかった。姉は、チャンネルを変えて欲しい時に、親に言った。そうすると、父が「Yちゃん、チャンネル変えて」と私に言うのだ。仕方ないから変える。
テレビだけではない、ティッシュ取って、新聞とって、なんでも親を通してくる。そんな風に険悪な空気にしてしまったのは私のせいだ。
私は言うこと聞いた。
いつの頃からか、テレビにリモコンがついた。それからは最悪だ。今まではまだ、親を通してでも、チャンネル変えて欲しいと伝えてきたのに、リモコンを自分のものにした姉は、私が見てるのなんて気にせずにチャンネルを無言で変えるのだ。ピリついた4畳半で私は耐えるしかなかった。
小さい頃から姉は難しいところがあったが、とくにその頃、姉は反抗期だったのかもしれない。親は姉の顔色伺って生活してた。
私は孤独だった。その頃助けてくれてたのは、セキセイインコや、チャボや、亀やメダカの存在だった。今では触ることなんて無理だが、子供の頃は虫も平気で、昼間は庭で一人で動物や昆虫と遊んでた。
アリの行列なんか見つけたら、ずーっと見てたし、返事が返ってこない動物たちに話しかけてた。
そうやって庭で一人で遊んでると、隣に住む父の姉、おばちゃんが話しかけてきて、遊びにおいでって家に呼んでくれた。
おばちゃんは小学校の先生だったから、子供の気持ちがわかったのかもしれない。私の学校の担任とは全然違った。
その頃の私は、父親とおばちゃんが仲が悪いことも知らなかったから、何にも考えずに遊びに行ってた。
ただ、家に帰ると、母親が必ず、「おばちゃんなんか言ってた?」と聞いてくるから、それはなんか変な感じはした。
父は大学で教えたりしてたが、何をしてたのか、私は詳しいことは知らない。家にいることも多かった。たぶん、それが鬱の症状がひどい時だったのかもしれないが、私はよくわかってなかった。
父は、自分でも気分転換しようと思っていたのか、遠くまで買い物に行った。わざわざそんなところに行かなくてもってくらい遠いので、母は行きたがらなかった。なので、私の出番だった。
高校卒業するまで、休みの日に私は友達と遊んだ記憶はほとんどなく、父親が出かける時に一緒に付き合わされた。
その分、父親は私の言うことはだいたい聞いてくれた。
父はよく、「パパさんのおかげで」と言った。
学校で禁止されてるバイトが見つかった時、赤点取って呼び出された時、2回目の結婚相手と揉めた時、全部父親の中では、父親が解決して私を助けたと思っていた。
私はそれがうざかった。2回目の結婚に関しては、そんな父親のお節介によって、私は人生最大の危機に陥ったのだ。そのことはまたの機会に書こうと思うが、父親のやってあげてる感はすごかった。
父の外面しかしらない友達は、「Yちゃんのお父さん、優しくて羨ましい」って言ってくれてたが、違うんだよなぁ。それはどこの家庭でもあることなのかもしれないが、うちの場合はさすがに違うだろと思う出来事があった。
母親の認知症が始まってない、2012年、あの下着事件の真相を聞かされた日だ、その時、私は母親に質問した。
「ところで、パパの鬱はいつから始まったの?」
さすがに私も40過ぎた大人だし、離婚も2回経験してる。しなくてもいい嫌な経験をたくさんしてきた。これ以上に驚くことはないと思ってた。
「Yちゃんが生まれた日だよ」
母親の爆弾発言はその日2回目だ。
下着事件なんて小さいものだった。
「Yちゃんが生まれた時、パパ、喜ばなかったんだよ、2人目は男の子が欲しかったから、それに、その頃、仕事でも色々あって重なったのもあるけど、Yちゃんが生まれた事を喜ばなかった自分を責めたんだよね、だからそれから『Yちゃんに申し訳ない』ってなってったんだよね〜」
小さい頃から男の子の格好や遊びをさせられてた事や、無駄に過保護に育てられたこと、私の中で、何かおかしいなと思ってた、点と点がその時しっかり繋がった。
そして私は、40歳過ぎて、初めて自分がアダルトチルドレンだったって事を知った。
気付くのが遅過ぎたけど、なんだかすごくスッキリした。それから私は親との縁を勝手に切り始めた。その度にどんどん自分の心がスッキリしていった。