第8話 一度目の結婚
私はサゲマンだ。自信を持って言える。私と付き合いのあった男の人は見事に何かある。そして私の運は上がる。
私の調子が悪い時、「Yちゃん、そろそろ誰か犠牲にするしかないんじゃない?」とお客さんに言われるくらいだ。
もちろん、警察に捕まるようなことはしていない。だた、純粋に恋愛しただけだ。
それなのに、相手が不幸になる。
私に問題があったのだろう。けれど、私にも言い分があるので、それは認めたくない。
最初に結婚した相手は、優しい人だったとは思う。けど。。。詳しい話をするには、私が悪かったと思われることがちょっとあるので、またの機会にしよう。
ただ、前回、この人のことを嫌いだったと書いてしまったから、なんでそんな嫌いな人と結婚してしまったのか、それについてだけは先に書いておきたい。
高校3年の頃、4つ上の人と付き合ってた。顔は渡辺謙に似た感じで、好みではなかった。けど、実家はお金持ちだった。玉の輿狙いの私には魅力的だった。その人の親にも気に入られてて、高校卒業したら結婚しようくらいの流れだった。
早く結婚したかった私には嬉しい話ではあったが、なんか違うよなと思ってて、とりあえず、札幌に住んでみたいと思っていたから、高校卒業して、一年だけ専門学校に行かせてほしいと、そして帰ってきたら結婚しようと、私はその土地を離れ札幌に住んだ。
お金持ちと結婚して優雅に暮らすと計画していたはずの私は、アッサリと、お金よりも愛よね、と思ってしまった。
19歳の私は、ワンルームの狭い部屋で、食べるのはキャベツの千切り、だけど、一緒にいると楽しくて、見た目がタイプなその同級生に恋してしまったのだ。
愛があれば、お金なんてどうにでもなると、とにかく愛だ、私に必要なのは愛だと思ってしまった。
専門学校を卒業して、彼は100キロ離れた場所に就職した。しばらくは通ったりしたが、早く結婚したかった私と、まだやりたいことがあった彼は別れることになった。というか、フラれた。
とにかくショックだった。大好きだったからショックだった。この話は、10年後、さらに20年後で、出来事があるので、いつか書きたいと思う。
大好きだった彼にフラれた私は旅に出た。
実家に帰っただけの話なのだが、私の最初の愛車、スターレットに乗って、何も考えずに走り出したのだ。
冬だった。
函館まで4時間、5時間で行けるはずなのに、ものすごい吹雪で、10時間くらいかかっただろうか、函館に着いたのは真夜中だった。
初めて一人で函館に走ったし、なにも調べてなかったので、お腹が空いてるのにどこにも入れなかった。
今でこそ大好きなラッキーピエロも、なんだこの怪しい店は、と思って入れなかった。
そして、何も考えることなく、2時40分発だったろうか、フェリーに乗った。二等客室っていうのか、大広間に行った。ほとんど人はいなかった。
少しして、若い船員さんが声かけてきた。そして、ブリッジ(操舵室)にその時行ったのかは忘れたが、女の人が一人なのは危ないから、船長からの指示だからと言って、特等室に案内された。
船にこんな部屋があるのか?と、普通のホテルみたいな部屋だった。
その人が最初の結婚相手なのだが、青森に着くまでの3時間ちょっとの間、ずっと話を聞いてくれた。なんでこの時間に一人でフェリーに乗ってるのか、何があったのか。あっという間に時間は過ぎた。
そして、帰りもフェリーに乗るんだから、そしたら函館観光付き合うよって話になり、それからの付き合いだ。
その後、なんで私が特等室に案内されたのかと言う話は、私は考えもしなかったが、納得した。
真夜中のフェリーに若い女が一人で乗るときは、危険だと、見張ってろというのが船長命令だったようだ。
たしかに、失恋旅行の私にはそいういうオーラは出てたかもしれないが、そんな気はなかった。なので、タダで特等室に乗れてラッキーだった。
約束通り、実家からの帰りに函館に寄り、観光した。それから付き合うことになったのだが、なにせ距離がある。250キロは、当時の私は運転が好きだったから、苦にならなかった。けど、その人はすぐ寝てしまうから、運転が心配だった。
夏の間はそれでもなんとかなったが、これから恐怖の冬が来る、さすがにこれは危険だと言う話になり、前にも書いた通り、その人はすでに家を建てていた。そして、仕事で家を空けることが多い、なので、冬に誰かが住んでストーブつけることは大事なのだ。
これは、同棲すれば一石二鳥でないかと思った。
就職難でバイトか契約社員だった私は、だったら、家賃も浮くし、函館で仕事見つければいいじゃん、くらいに思った。
さっそく父親に言ってみた。
同棲はダメだ、籍を入れろと言ってきた。
彼は、結婚します、と言ってくれて、出会って、よく知りもしないのに、一年後には結婚式だった。
とりあえず、念願の結婚だ。親を喜ばせることができる。最高の親孝行であり、親離れできる。
それが失敗の始まりだった。