遊びと喧嘩と本当の勉強 #③【息子への手紙】
遊びと喧嘩と本当の勉強 #② からの続き
そこで教育制度についての一提言をすれば、日本の六・三・三・四制はかなりおかしい。アメリカのように六・二・四の高校までを義務教育制にすればよい。どうせほとんどの子供が高校に行くのに高校を義務教育にしないのが受験競争をあおっているからだ。
そして日本の「一学年単位制」を止めて、「一学期単位制」にして、一学期間に三教科くらいを集中的に学ばせて単位を取らせればいい。その取得した単位を何処の学校でも共通して通用する単位として認めればいい。そうすればそれまでに取った単位を持って他の学校に行けるし、もし途中で仕事や病気で休んでも、またその単位の上に次の学校で取った単位をのせて卒業できるようになる。
こうすれば例えば二年の一二月から学校に行かなくなった場合、今の日本ではまた二年の最初からやり直さねばならなくなるが、このアメリカの制度だとそれまで取得した単位を持って、同じ学校でも違う学校でも、二年の九月からやり直せば良いことになる。今の制度では一度列から離れたら、もう二度と戻れない制度になって、後戻りの機会を奪うことになってしまっているからだ。
そうやって一度はみ出したり、閉め出された生徒達は社会に対して恨みを持ち、仕返ししたくなるのが人情で、暴走族になったり、風俗に走ったりするとか、犯罪行為に走ったりするのではないだろうか。一度の脱落で元に戻れなくなれば、すねるしかないでしょう。
勉強が好きな子もいるし、勉強は苦手だけど人をまとめるのは得意な子もいるし、頭は良くないが手先は器用な子もいるでしょう。今の日本の学校で、知識をぎゅうぎゅう詰め込ませなくても、高校までは社会に適応して生きて行くのに必要な基本だけを勉強させればいいので、本当に専門的に勉強したい者だけが大学に行けばいいのではないか、と思う。
もっと余裕のある高校までの義務教育制と一学期単位制を提案するわけです。
そしてもっと子供同士で遊べる時間を子供達に与えないと、創造性豊かな、調和のとれた社会は来ないと思うが、君はどう思いますか?
ついでに言えば、これからは大手のサラリーマンも楽じゃあなくなる。日本社会が成熟したので、個々人の要求が贅沢で要求が高くなっている為、十把一からげで画一的な物やサービスや、決まり切ったことを繰り返すだけではやっていけなくなってきているからだ。
いろんな個性と能力が要求される時代となりつつあるので、大きな組織より個人の能力が大切になるからです。
何処に属するかより、いろんな個性を磨いた方が成功する道でしょう。
頑張って大いに遊び、大いに学びなさい。
( 1998年 8月27日 記 )