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長男亮爾と私との勝負の歴史 #② 【息子への手紙】

長男亮爾と私との勝負の歴史 #① からの続き


(5)四回目の勝負

亮爾は、その後3回高校を変わり、最後はアリゾナ州のフェニックスのジョージバレー高校を卒業した。その頃、ヒップホップダンスに夢中になり、黒人と組んで全米第\2二位まで上り詰めていた。そしてまた、全員で家族旅行に行った。
君の車で見渡す限りサボテンしかない荒野を2000kmくらい走って、途中の「セドナ渓谷」で泊まってゴルフを楽しみ、また車で「グランドキャニオン渓谷」を見に行ったね。
その間、宿で君の将来について話し合った。

「お前は、踊りのプロになるのか?」
「否、黒人の身に付いた踊りの能力にはどうしても敵わない!」「日本人の俺が、踊りでプロになるのは難しい、と感じている」
と言う。
凄いことを言うね。君は遊びの中でも成長していたのだね。
「それなら、何をやるか、考えよう」「お前は踊りの他には何が好きだ?」
「・・・・・・ウーン、何時も今まで苦労したのは髪かな?」「髪のことで、高校でも、アメリカでもトラブったから、俺は髪のことが一番気になるね」
「・・・・・・そうか、ならば、美容師になるか?」
「・・・・・・ウン、いいかもしれない」
と、段々に絞り込まれてきた。

「よし、ならば、どうすればプロの美容師に、『それも世界一の美容師になれるか?』考えてみよう!」
と、いうことになった。
そこで、私が、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する!」を要約して話し始めたら、「お父さん、一寸待って、紙に書き留めたいから」と言う。
何とわが子は成長したものか、と私は涙を抑えきれなかった。

それから、3日間、夜になると「成功哲学」を君に語り、君はそれをノートに書き留めたね。嬉しかったよ。
これで、少しは成功の階段を上る方法を受け取ってくれたからね。
その後、フェニックスの美容専門学校に通い、美容師の資格を取った。

(6)五回目の勝負

美容師資格は取ったが、さて何処で働くか、が問題となった。
電話でやりとりしたね。

「フェニックスのような地方では良い仕事の場はないよ!」
「うん、そうか。ならば、ニューヨークに出るか」「今までも、自分で交渉して、高校を3回も変わったのだから、ニューヨークに行って、自分で交渉してみろ!」「何とかなるさ!」
と、またかなりいい加減な指示をした。
「ウーン! ・・・・・・やってみるよ!」
と返事して、君はニューヨークに行った。
「まず、様子見にあちこち行ったけど、バンブルアンドバンブルという店は一番お客さんが多くて元気がよかったので、そこに行ってみるよ」と。

何のコネも当てもなく、直接売り込み交渉に行った、幸いにも日本大好きの社長に会うことができて、バンブルアンドバンブルに入社することが決まった。
良かった良かった!
いよいよ君の美容師としての勝負がようやく始まるね!
我々は、ただ応援するしかできないが、頑張れよ!

(7)六回目の勝負

バンブルアンドバンブルで頑張って、1年半くらいの頃、亮爾から電話、「社長から、パリに行ってくれないか、と言われてるんだけどどうしよう?」と。

「行け行け!」「『行かせて下さい! パリで修業させて下さい!』と直ぐに社長に返事をしなさい!」「日本人は、パリがファッションや美容の都だと思っているので、パリで一流になったら、日本人は文句なく受け入れるぞ!」「このチャンス逃すな!」。

そして、君はフランスに行った。

(8)七回目の勝負

フランスに行って、ヘアーアーティストのロラーンの助手として修業中、我々が家族旅行で君の所に行った時、アメリカにおいてきた妻が浮気をして、今後どうするか問題になった。
亮爾が一人で1年以上もパリに行ってしまったので、アメリカ人である彼女は、日本人のように待てずに浮気したのだろうが、亮爾は「どうしても許せない!」と言う。

亮爾と彼女を日本に呼んで、話し合いさせて、結局、離婚することになった。

(9)八回目の勝負

「アンパン食べない!」と声を掛けてきた彼女と仲良くなり結婚する、と言う。

会ってみると、金髪美人で、ソルボンヌ大学哲学科を卒業した日本好きの秀才だった。
彼女の両親とも会食したが、両親とも離婚し、再婚した面白い二家族と育ての親であるお祖母ちゃんとの大集団であった。下手な英語で会話もしたが、まさに異人さん達だ、と思った。

彼女の希望で日本の明治神宮で着物を着て神前結婚式を行った。女の子も生まれた。
しかし、彼女とも離婚することになってしまった。
何故ならば、最初から、「一寸冷たい感じのある娘だな」とは感じていたが、「亮爾の仕事を、頭の良い奥さんとして助けてくれるかもしれない」と期待したのに、それと反対で「私がマネージャーをやる」と亮爾を師匠のロラーンから引き離し、自分がマネージャーとなってしまい、「良い仕事は取れない」し「お金は自分の服や趣味の為にばかり使う」し「モデルや仕事関係の女性との付き合いを嫉妬する」しで「亮爾の仕事の成長を邪魔している」と判ってきたからだ。

また、頭が良い女性なのに、金銭感覚が無く、あるだけのお金は自分の為に使い、無くなると私の方に「お金を貸して下さい、返しますので」と無心してきて、アパートの敷金と言って渡したお金は、自分の為に使ってしまったり、その内「この人は、父親の私のお金を狙って結婚したのではないか?」と思うしかない人間だ、と判ってしまったからだ。

「亮爾、どうする?」
「ウーン、彼女と居ても苦しいばかりで、仕事は少なくなる」し「モデルや仕事仲間の女性と食事をしても、夜中まで嫉妬して寝かせてくれないし、仕事にならないよ」とも言う。
「判った、彼女とは別れるしかないね」
という結論になり、彼女の弁護士と和解して向こうが言う通りのお金を渡して離婚した。

彼女に食い散らされたお金は2000万円以上かな。それは正解だったね、彼女と別れた後は、自分で仕事の交渉をするので、君が人に好かれる所や、面白い工夫をしたこと等が写真家やプロデューサーに認められて、仕事が順調に進むようになり、オランダ、イタリア、ドイツ、イギリス、サウジアラビア等の国でもファッションショーや雑誌の写真撮影で活躍することができるようになり「ブック」も充実したね。

結局、フランスで7年間の修業期間を経て、またニューヨークに戻り、今は日本でも仕事をするようになった。

今後も、何度も勝負時が来るだろうが、君の「創意工夫」と「ど根性」で乗り切れるさ。私でよかったら何時でも相談してくれ! それが親としての私や母さんの喜びでもあるのだからね。
君のお陰で面白い経験をいっぱいさせてもらえたよ。有り難うね。

( 2012年 6月 18日 記 )


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