罪悪感があるようなら上出来だ

母とは種類はこそ違うが、私の父もクレイジーだった。

昭和の親父という言葉では表現が甘すぎる暴君だった。
どこが怒るポイントなのかわからない。
なぜ怒っているのかもわからない。
何を言いたいのかわからない。
人の話しなど一切聞かない。
たまに暴力を振るう。

父とまともな会話が成り立った試しは一度もない。

そんな父が半年前に死んだ。

余命を長くて半年と宣告され病院から退院してきた父は死ぬまでの期間を実家のリビングに設置された介護ベットの上で暮らした。

父が介護ベットでの生活をはじめてから死ぬまで、私は実家に戻り父母と生活を共にした。
実家は老いた父母の二人暮し。万が一のときには人手が必要になるということで、当時無職(今も無職)だった私が兄妹を代表して実家に戻ることになったのだ。

介護ベットでの生活がはじまって半年くらいまで、父は自力でトイレに行っていた。
ある日、トイレに行こうとして廊下まで移動したが、そこで立ち止まり動けなくなった。

母と私は父が自力でトイレに行けなくなったらホスピスに移すようにと医師からアドバイスを受けていたし、ホスピスへも前もってそのように相談していた。
また父にも医師からその旨説明をしてもらっていた。

しかし自力でトイレに行けなくなった父は頑にホスピス行きを拒否し、介護ベットの横にトイレを設置して、母に抱えてもらいながら排泄を続けた。
母の体力の問題もある。ホスピスに行きたくないのであればせめてオムツを着けてほしい。そうでないと、母がおらず排泄が間に合わなかった場合に大変なことになるとお願いしたが納得しなかった。

母に代わって私が父を担げばよいではないか。わざわざ無職の五〇男が実家に戻っているのだから。

そのとき私は父を担げる状態ではなかった。
父が自力での排泄が困難になったときを同じくして、私は骨折していた足のギブスを外したばかりだった。
まだ足の腫れがひかず、痛みもある状態だったのだ。

ある日のこと、母が買い物に出かけた際、父が尿意を催したらしく、
「おーい。おーい」階下で母を呼ぶ父の声が二階にいる私に聞こえてきた。
買い物に出かける旨を母は父に伝えていたのだが、当時父は物覚えが悪くなっており母が不在だというのを理解していないようだった。

「おーい、○○(母の名)。おーい、○○」
父の母を呼ぶ声は止まない。

私は徐々に腹が立ってきた。
「お母さんは買い物に出るっていってだでしょ。もう少ししたら帰ってくるから待っといてよ」
階下に降りて、それだけ伝えると私は踵を返してまた二階の部屋に引っ込んだ。

すると、
「おーい、イマココ(私)おーい、イマココ」父が私の名を呼びはじめた。

「おーい、イマココ。おい! イマココ! おーい、おーい」
ときに弱々しく、ときに憤りを含みながら、
私の名を呼ぶ父の声は止まらない。

「もうやめてくれ。静かにしてくれ」

私は耳を塞いだ。
人は聞きたくないことがあれば本当に耳を塞ぐのだ。
そのとき私が感じていたのは罪悪感ではない。
父が助けを求めていても、父を助ける必要などないと思っている自分の非情さへの恐怖だった。

私は暴君だった父を間違いなく恨んではいた。
しかし、助ける必要などないという思いは恨みからくるものではなかった。
私とあなたは私があなたを担いでトイレに連れて行ってあげなくてはならないような関係性ではないですよね、という冷めた思いからくるものだった。

父を避ける理由は恨みでさえない。
ただひたすらに冷めた思いだった。

私は人と感情の共有ができていない。
私は人を信じていない。
つまり私は誰ともつながっていない。

私の父への思いは、そのことを証明するには十分な材料になるのではないだろうか。

自分で書きながらも、自分が恐い。

つづく

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今回はこれにてご無礼いたします。
最後までありがとうございました!
みなさま、お元気でー





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