イマココ

1973年生まれ。人が怖くて49歳で引き籠もりになりました。母から受けた心理的ネグレク…

イマココ

1973年生まれ。人が怖くて49歳で引き籠もりになりました。母から受けた心理的ネグレクトが原因であったと知りこれまでのすべての思い出を上書きしながら新しい居場所を探し中です。2023年2月より虐待について専門的に学んだカウンセラー(公認心理師)からカウンセリングを受けています。

マガジン

  • 抱きしめない母親と地獄行きの宗教

    母は人の気持ちを理解できない人でした。 ある信仰を持っていましたので生きるのが苦しいのは自分に与えれた試練であり、自分の犯した罪のせいだとも思ってきました。49歳で自分が被虐待者であったと知り、これまでの苦しみの原因はわかりましたが、この先をどう生きていくのかを模索中であり、カウンセリングを受けている最中です。

  • 日記

    早く社会復帰をしたいのでリハビリを兼ねて日記を書いていこうと思います。

最近の記事

あらゆる場面で永遠にマニュアルを必要とする男

スーパーの野菜売り場責任者の正社員から、「ブロッコリーを店頭に出してください」と申し付けられたので、その業務に従事したことがない旨を伝え、手順の教授を請うと、「まだそんなこともしてなかったの?」担当者は瞬時にしてタメ口となり、明から様に不機嫌な様子でブロッコリーの入った発泡スチロールの箱を流し台に叩きつけて置くと、「はい、これ」とだけ言いその場から去っていった。 箱の中には氷に覆われたブロッコリー。唖然とした僕は、これをどうしたらいいものか横で作業をしていた女性に尋ねると、「

    • 教えてもらってないからできなくて当然です

      例えば新しい職場でわからないことがあったとする。そういうとき先輩にどのタイミングで質問すればよいのかが僕にはわからない。「すみません、今、質問してもいいですか?」と聞いて相手の都合を伺うようにすればよいと言われても、その「今、いいですか?」の質問をしていいタイミングが掴めない。 勇気を出して「今、いいですか?」と聞けたとして、先輩が、「今忙しいからあとにしてくれ」と答えたとする。そうすると、その「あと」というのがいつなのかわからない。先輩の方から、「今なら聞いてくれていいよ」

      • 世界は一大事に溢れている

        うちの宗教団体の各支部には信者の中から選ばえれたその支部の信者代表とでもいう役割を担う者が存在し、それはいったいに初老を過ぎた男性が選ばれるのが習わしとなっている。それでなくとも世間から冷ややかな眼差しを向けられやすい新宗教である。ある程度の社会的地位を持ち、外部の団体や人と折衝する際に恥ずかしくない知識と能力を備えつつ、物腰の柔らかく明るい人物の選出が理想である。 しかし現実は謙虚さのかけらもなく威張り散らかすしか能のない手合が役に就いてしまう支部も少なくない。 僕の所属し

        • 都会の人は冷たくないし、田舎の人が温かいわけでもない

          都会は人間が生きるに必要な緑と土からかけ離れた不安定な生活様式の上に成り立っているにも関わらず、大勢の人が楽しく暮らしている。都会で暮らす人たちを精神的に支えているのは、周りに仲間である「人」という生き物がたくさんいるとの安心感なのだ。 タワマンやアスファルト、最寄りと呼べる距離に数店舗あるコンビニと十分以内にはやってくる電車や星を見えにくくさせている灯りなど全て人が作り出したものであり、人に安心できる普通の人にとってはそこが安心快適な空間になる。 人が生物としての人らしい

        あらゆる場面で永遠にマニュアルを必要とする男

        マガジン

        • 抱きしめない母親と地獄行きの宗教
          69本
        • 日記
          2本

        記事

          洗脳が解けて欲しくないと思う人がいるのも理解できる

          自分にかけた洗脳は自分で解くことができると初カウンセリング時にカウンセラーから聞かされていたが、げに、その通りだった。 洗脳を解くには何より自分が洗脳されているとの自覚を持つ必要がある。しかし洗脳されている本人は洗脳されている認識はないため他者から事実を告げられなければ気付けないし、告げられたとしても簡単に受け入れられるものではない。 例えば悪徳宗教では教義が間違っているとか教祖が嘘をついているといった批判に耳を貸す行為は禁じられているため、洗脳されているとの指摘を受けた

          洗脳が解けて欲しくないと思う人がいるのも理解できる

          人を無視できたら楽しかろうね

          例えば吊り革三つに一人くらいの割合で立客がいる満席の車両にあって足を組んで座っている奴の前に立たなくてはならなくなったとき心のなかで足組む輩に、「この短足糞馬鹿野郎が。今眺めている、てめえのスマホが急にフリーズしますように」と怒りの感情を抑圧せず垂れ流すことで逆に怒りは持続しなくなるというのを知ったのは最近のことだった。 このように、歩いていても、電車のなかでも、お店でも、一時的な接点しか持つ必要がない人を無視する心の持ち方は身についてきた。おかげで初見の人への嫌悪感を持続

          人を無視できたら楽しかろうね

          責任はあるが責任はとれない

          僕にとって生きるのは恐怖でしかなかった。 この世に生を受け、初めて接触を持った人間である母が恐怖の源だった。 乳飲子は母と自分の区別がつかない。母が世界の全てだ。母が理不尽なら世界も理不尽なものになる。 恐怖の原因が母にあるとは思いもしなかった僕は死がその原因だと考えた。死への恐怖を乗り越えたら全てが解決すると信じた。だから四歳から念仏を称えたり、とある宗教の戒律をクソ真面目に守って青春を棒に振ったりしながらも信仰に取り組んだ。 残念ながら救われなかった。診断ミスに気付

          責任はあるが責任はとれない

          自分を騙してきた心に悶々鬱々

          オリンピックでメダルを獲った選手がテレビに出ている。そのメダリストを他の出演者たちが讃えていた。 人を讃えるのって素敵なんだろう。僕も心から人を讃えてみたい。でも讃えられない。僕にはわからない。 メダルを獲るなんて大したことじゃないと思っているわけじゃない。目的を設定し、そこに向かう努力を続けてきたのは凄いことだと想像はできる。 その凄さが僕には実感としてわからない。だから感情を込めた讃嘆ができない。「へえ、そうなんだ」としか思えない。 目的の設定と目的達成のための努

          自分を騙してきた心に悶々鬱々

          人生が僕に何を期待しているのか

          甲子園のアルペンで高校生たちが一生懸命に自身の高校を応援する。 コンサート会場で他のファンと同じ動きをして一体感を味わう。 何かの対象を周りの人と一緒になって応援する楽しさ。能動的に見える。僕にはそれがわからない。 反抗期もなく、思春期もなかった僕は幼いころすでに子どもではなかった。僕が大人に見せていた子どもらしい言動は子どもらしさから生まれるものではなくすべて演技だった。 今は大人でもない。子どものときの不安な気持ちのまま五十一歳になっただけだ。 この半年ほど仕事を得

          人生が僕に何を期待しているのか

          心の整理がついてきた(3)

          先がまったく見えなくなってしまった。 人と心の交流が持てない自分だとわかったのはいいのだけれども、そうなってみるとこの先どうなるのかが、まったくわからなくなった。 カウンセリングによって虐待経験を乗り越えたなら人と心の交流が持てる自分になれると予想をしていたのだが、その予想が外れてしまった今、自分がどうなっていくのかがまったくわからない。 生きるってことは人と関係を持ち続けるってことだ。仕事をするってことも同じだ、だったら人との関係を築けない僕はどうやってお金を稼げばい

          心の整理がついてきた(3)

          暑い。とにかく暑い。

          全部、ルールだからやってる。 人から何かしてもらったときは、「ありがとうございます」と言う。 帰れば、「ただいま」と言うし、妻が帰ってくれば、「おかえり」と迎える。 朝はいつも妻より先に、「おはよう」と挨拶をする。 指定席ではない電車の座席は早いもの順だと知っているから、どれだけ自分が座りたかったとしても先に座ってる人に対して「譲ってください」とは言わない。 店員から「何かお探しですか」「気になるものがありましたらお声がけくださいね」と言われても、「私に構わないでください」

          暑い。とにかく暑い。

          心の整理がついてきた(2)

          言葉を交わせば心の交流もはじまると思っていた。僕は人が怖かった。僕にとって他人というのは何を考えいるのかわからない恐怖の対象でしかなかった。だから他人といるときは沈黙を恐れた。とにかく会話することで相手を理解しよう、自分を理解してもらおうと努めた。 妻の無言が怖かった。妻であっても何を考えているのかわからない。妻の無言は不機嫌の証としか受け取れなかった。何年一緒にいても妻が怖くて仕方なかった。妻がいる場所から物音が聞こえてくると僕は怯えた。 だからとにかく妻に話しかけた。

          心の整理がついてきた(2)

          心の整理がついてきた(1)

          母と僕の間に心の交流は一切ない。 先日、四日ほど実家で過ごしてはっきりとわかった。 実家から戻って妻と数日過ごすうち、僕は妻とも心の交流が持てないのだと思うようになってきた。そもそも心の交流の持ち方がわからないようだ。妻であっても安心していない。これが僕の本心だ。これを認めるのにはとても勇気がいった。 それを認めてしまったら僕は誰ともつながっておらず、誰も愛せず、誰からも愛してもらえない人間だと認めてしまうことになる。そんなことになったら生きていけない。絆とか愛とか、せめ

          心の整理がついてきた(1)

          母親の愛を知らないからこその不安定さが僕の安定

          実家に用事があり数日帰省していた。家では母と二人だった。実家を出る日になると何んだか淋しい。僕の抱える苦しみの原因を作った人であっても母は母。あの人と別れるのが辛いのだろうか。 今回の帰省中も母は人の気持ちを踏み躙ることを平気でいう。 「あなたは我慢が足りない。そんなことじゃ、どこにいっても生きていけない」 「楽ばかりしてきたのだから少しくらいしんどいことに耐えなさい」 「人生は辛いことの方が多いんだから、しんどいのは当たり前よ」 うつになって仕事ができなくなった息子への気

          母親の愛を知らないからこその不安定さが僕の安定

          散々に煽ったあげく何もなく過ぎて誰にも責任はない

          1997年の7月に地球は滅びる。幼いころノストラダムスの大予言が流行った。テレビも本も地球滅亡の話題を定期的に取り上げる。ノストラダムスが指定したとされる滅亡年月は別としてだが信仰している宗教の教えの後押しもあって僕も地球滅亡説を信じていた。 1997年には26歳になっている。26歳までには神への強い信仰心を確立して地球滅亡を乗り越え、その後に訪れる千年王国で暮らせる自分になるぞ。そう言い聞かせて不安を払拭しようとした。そのときの僕は自分の感じている恐怖の原因は地球滅亡の予

          散々に煽ったあげく何もなく過ぎて誰にも責任はない

          内心の自由がないと本当の自由はないと納得できた

          妻と出かける約束をしていたのだが中止となった。少しだけ妻に落ち度のある理由からだった。それだけのことだった。 その日の夜、布団に横になり目を閉じると息が苦しくなる。大きく息を吸いこむ。吐くと深い溜息になる。横で眠る妻に迷惑をかけてはいけないので起き上がり隣の部屋にいく。 誰に対してとか何に対してとかではない。これまでの僕の人生を振り返ったときの惨めさの全てが一斉に押し寄せてきた。「◯ねっ」「くっそ、バカタレっ」「この、くされ外道っ」言葉にせずにはいられなかった。 しばら

          内心の自由がないと本当の自由はないと納得できた