見出し画像

カオダイ教の総本山、タイニン省で考えたこと

今回はフラッと訪れたタイニン省、特にカオダイ教について考えてみたいと思います。実は同地を訪れたのは、思い起こせば1997年にバックパッカーとして訪れて以来、何と27年振り!その頃は「綺麗な寺院だなあ、変わった宗教があるもんだなあ」としか思えなかったですが、カントーから訪れた今回は、多少ベトナムの歴史なども勉強したこともあり、色々考えることがありました。

そもそもカオダイ教とは?

まずは今回訪問の焦点でもある、カオダイ教に関して簡単にご紹介します。カオダイ(Cao Đài、漢字で書くと「高台」)教は、最初の信者であるNgô Minh Chiêuがカオダイの精神的象徴として天眼を取り入れたところが始まりとされ、正式には1926年に開かれたとされています。非常に簡略化して説明しますと、仏教、儒教、道教、キリスト教など古今東西の諸宗教を融合して、玉皇上帝が最高神として人類を救う、そのシンボルが「天眼(Thiên nhãn)」である、という教理になっています。この「そんなにいろいろな宗教融合しちゃっているの?」という点が多くの好奇心を呼ぶところであり、自分自身も「変わった」という第一印象を持ったのをよく覚えています。

カオダイ教の象徴とも言うべき「天眼」
天眼は建物のあちこちに

カオダイ教誕生の背景と現在

確かに従来世界各地で主要な役割を果たしてきた宗教体系を「融合する」という姿は変わっていますが、カオダイ教ができる背景となった19世紀~20世紀初頭のこの地域のフランス植民地支配、ペストなど病気も蔓延し、更には第1次世界大戦(さらには第2次世界大戦)という混乱を考えると、既存の宗教では救われない、それらを越えた、新たな信仰が必要なのでは、と思ったとしても不思議ではないなあと感じます。

タイニン省タイニン市は矢印のところ
ホーチミンから約90km(車で2時間強)

そしてカオダイ教総本山があるタイニン省は、人口の相当数がカオダイ教とだと言います。オフィシャルな情報源では「信者は50万人を超え、同省人口の約半分」ということになっていますが、もっと多いという報告も多数あります。同地で利用したグラブの運転手さんもカオダイ教徒で「省内の90%はカオダイ教徒じゃない?」という程の存在感だそう。市内には多くのカオダイ教寺院が存在します。ただ何といってもその存在感が絶大なのがカオダイ教総本山、タイニン大聖堂(Tòa thánh Tây Ninh)です。

タイニン大聖堂;Tòa thánh Tây Ninh本殿
本殿を横からみたところ

タイニン大聖堂での祈り

本殿に当たる施設では毎日0時、6時、12時、18時に読経、礼拝儀式が行われます。自分が訪れたのは土曜12時ということで、自分たち以外にも、特に多くの欧米人(フランス人)観光客が礼拝の様子を見学していました。聖職者たちも見学者に慣れているようで、写真を撮られてもにこやかだったり、奥に入り過ぎる観光客には厳正に対処したり、といった感じでした。

厳正な祈りの様子、かつては2階も開放していたが、現在見学は1階からのみ
見学する観光客にはフランス人が多く

基本的に信徒は皆真っ白な服に身を包んでいますが、最前列で儀式を取り仕切る司祭は青や赤の服。どこか道教の道士のような印象を与えますが、最高神を「玉皇上帝」とよぶあたりからも、道教からの影響はあったのでしょう。

多様な聖人とその配置から

もちろん上記した建築や儀礼もさることながら、今回最も印象に残ったのは教会の正面に大きく飾られたこちらの絵画でした。

左から孫文、ユーゴー、Nguyễn Bình Khiêm

右から字を書くのは、ベトナムでは偉大な教育者、そして予言者としても知られるNguyễn Bỉnh Khiêm、左から書くのは何と「レ・ミゼラブル」で有名なフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴー、そしてその左には中華民国を建国した孫文が描かれています。カオダイ教が開かれた20世紀初、この地域はフランス植民地でした。そんな歴史を背負うカオダイ教の精神に共に共鳴とされた三者の描かれ方には、ユーゴ―と孫文というまさかの人選。当時のフランス(欧米)勢力、中華文明をもカオダイ教に帰依するのだという象徴だったのでしょう。

特に左下で朱印をかざし、まるで字を入れる両者のアシスタントのように描かれているのが孫文という、意外性というか、意味深長さというか、そういったものが印象的でした。現在自分たちを抑圧している欧米文明とベトナムは対等の(文字を書き入れる)立場であり、中華文明はその関係を(やや下から)支えているものだ、と主張しているようにも感じ取れます。

カオダイ教と華人宗教文化の関係性

カオダイ教はその他にも世界の様々な偉人が聖人としてあらわれますが、これはカオダイ教において「扶鸞」と呼ばれる、神が術士に乗り移り、お告げを特殊な筆を用いて書く儀式を通じて、歴史上、伝説上の人物などが聖人として言葉を伝えることから来るそうです(こちらなど参照)。

この「扶鸞」という儀式は、メコンデルタ始め中国南部に多くいる潮州系華人に伝わる儀礼であり、カオダイ教も当時あったこうした「扶鸞」儀礼に影響を受けたのではないかと言われています。実際にカオダイ教創設初期メンバーの中にも多くの華人系の人たちが含まれていたようで、カオダイ教と華人宗教文化の関係性も色々指摘されているところです。初期カオダイ教には「中国華南で勃興した先天道の流れを汲む明師道とよばれる宗教運動の影響が少なからず見られること」も指摘され、このあたりも更に掘っていくと、自身の関心事である在ベトナム華人の世界とも繋がりがありそうです。(これ以上はマニアック、かつ学術的になりすぎるので割愛。)

敬虔な南ベトナム、メコンデルタの人々、多様な宗教世界

先日カントーを案内してくれたツアーガイドさん曰く「メコンデルタの人たちの特徴」として、最初に挙げていたのは「カラオケ好き」(笑)。

そのつかみジョーク(でもカラオケ好きは事実w)の次に、メコンデルタの人たちの宗教心の熱さ、敬虔さを挙げていました。その背景としてはやはり19世紀以来の混乱した世相を挙げていましたが、確かに南ベトナムにはこの1、2世紀の間に急成長した宗教が多く見られます。

これら新しい信仰のあり方が人々の心をつかみ、今でも実践されている理由は、もっとベトナムの近・現代史を勉強しないと理解できないなあと、改めて思うところです。

いいなと思ったら応援しよう!

いまじゅん
11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。