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潮州語の聞こえるベトナム-Vĩnh Châuの華人と混然一体

カントーに住みだしてから半年が過ぎ、潮州系の華人に会うたびに「潮州語は話せますか?」と聞いて、「話せるよ」という人に会うことはほとんどありません。特に若い世代は「ムリムリ、まあおじいさん、おばあさんなら話せるかなあ」という感じで、街中で潮州語を聞くということは、まずありません。

そんな中「ヴィンチャウなら結構皆が話すよ」と聞いて久しいこの「Vĩnh Châu」、ソクチャン省南部沿岸の街です。これまでソクチャン市には何度も訪れ、既にnoteでも上記のように記事を書かせて頂いたのですが、これまでヴィンチャウで華人旧跡巡りをする機会がありませんでした。

そして今回ようやく訪れられたヴィンチャウ。そんな華人、特に潮州人の存在が色濃く残る街の一端をここで紹介できればと思います。

南部ソクチャンの、そのまた更に南部のヴィンチャウ

ヴィンチャウはソクチャン省の南部沿岸、現在は塩水遡上が拡がる地域でもあり、それに適用するためもありエビ養殖が盛んな地域でもあります。街の人口は約17万人、クメール人が5割強、そして華人人口は2割弱と、「少数」民族と呼ばれる人たちが約7割と多数を占める、そんな街でもあります。特に市内中心部にある第一坊(phường 1)では、華人が36%強を占めるなど、より多くの華人が集中して住んでいます、

写真下の方、赤囲み部分がヴィンチャウ、ベトナムの最南部に近い沿岸地域

豪華絢爛な廟の復活

最初に訪れたのは清明古廟(ベトナム語ではThanh Minh Cổ Miếu、また本頭公廟=Chùa Ông Bổnとも)。この立派な廟は、多くの在外越僑の支援を得て2023年に修復されました。この修復を機に作られた冊子によると、豪華な古廟の再建には約210億ドン(約1.27億円)もの費用がかけられ、その多くが海外に逃れた越僑からの資金支援によって賄われています。

入り口からして何とも豪華。吸い込まれるような青空を見上げると、ハノイ・タンロン城か、はたまた紫禁城かと思わせるような(は少し大げさかな!?)まるで皇帝の宮殿に登っていくような階段を経て、主殿が鎮座しています。

まるで宮殿のような階段の上に立つ廟

中にはBắc Đế (北帝)とされ北を守る神とされる玄天上帝(Huyền thiên Thượng Đế)が祀られると共に、その前には関平、周倉を従える関羽と思われる神も祀られているダブル神様。

玄天上帝の前には関羽も

そして、右隣りには潮州人の信仰を集める三山国王(Tam Sơn Quốc Vương)も鎮座していました。立派な冊子で紹介される廟と、そこから見られる潮州人社会の強さに圧倒されます。

潮州人文化の目印の一つとも言われる三山国王

この廟ではヴィンチャウ出身の若い学生にも会ったのですが、彼らも自然に潮州語を話すのにとてもビックリ。「家では潮州語で話しますよ」と若い彼が話すのを聞くと、途絶えたかのように感じていた潮州語話者は、この街にはまだまだいることが理解できました。話に聞いていた「潮州語の聞こえる街」は噂に違わぬものであったと改めて再認識。

華人旧家に残る遥か中原との繋がり

更に沿岸を行くと、ここではある華人一家の旧家が外部に公開されていました。ここは「頼家」の旧家で、一応観光向けに外部に開放されているようですが、さすがに国内観光客にも遠すぎるのか、来訪客は我々だけでした。

100年以上の歴史を誇る木造住宅

19世紀初頭にやってきたとされる頼氏の祖先、その子孫は現在もこの家に住みながら、旧家を守っています。旧家を観光に開放、とはいっても同家の人たちは黙々と畑仕事をするばかりで、本当に普通に住んでいるといった趣でした。

家の中には端々に祖先の写真が

これまたご一緒した華人に詳しい研究者の方からは「この家は客家に良く見られる三合院に似ているなあ」ともコメントが。確かに、中国の真ん中、中原の地にその源を辿るような一家の歴史描写から考えると、客家の人たちだったのかも、と想像を巡らせることはできます。紹介文ではその祖先を中国河南省にまでたどる説明がされていました。そこにある「頼公陵園」という言葉から検索すると「河南省信阳市息县包信镇」が頼氏の発祥の地とされているということで、ここと祖先の歴史を紐づけているようでした。

頼一族と中国河南省との繋がりを強調

客家と潮州人の地理的、そして文化的近さ(そして相互乗り入れ)は研究者も指摘しており、ここにも「混在」がキーワードとして浮かび上がります。

海沿いの古廟には文化接触の一端が

もう一つ、更に海に近いこの小さな祠はやはり天后古廟。海に近いこのエリアでは、海の安寧、航行の安全を願うため天后の存在は欠かせないでしょう。天后廟の持つ意味についてはこちらnote記事をご参照ください。

海沿い、川沿いに欠かせない天后廟

祀られる神々の真ん中はもちろん天后なのですが、その左側には石が祀られていました。「これはクメール人文化の影響なんだよ」とはこの日同行したベトナム人研究者。石を神として祀る習慣は華人にはあまり無く、クメール人に多く見られるのだそう。しかし、クメール人が多くいるこの地域では、華人社会、文化もそれを尊重し、受け入れているのであろう、とのこと。

海翁公公、として石が神棚に。

廟を外に出ると青空に燦然とそびえたつ観音菩薩があり、道教と仏教とも混然一体となっています。ベトナム人、クメール人、そして華人と、多くの文化が混在するこの地域では、それらが相互に受け入れられていることがわかる証左の一つだと指摘され、この地域の華人文化の変容と多様性を考えさせられます。

外に出ると観音菩薩も。

一日近く周りましたが、それでもまだまだ見足りない、考え足りないと思わせるヴィンチャウ。更に訪問したら、もっと深い理解が得られそうな、そんな街です。今度は少しでも潮州語を学んで、街の人と話をしてみたいなあ、なんて。

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いまじゅん
11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。